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◆部屋別の力士数(九州場所前)◆
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| 部屋名 |
親方 |
力士 |
関取 |
| 武蔵川 |
横綱三重ノ海 |
31 |
8 |
| 玉ノ井 |
関脇栃東 |
25 |
1 |
| 鳴戸 |
横綱隆の里 |
23 |
3 |
| 高砂 |
大関朝潮 |
23 |
5 |
| 出羽海 |
関脇鷲羽山 |
22 |
5 |
| 佐渡ケ嶽 |
横綱琴桜 |
22 |
3 |
| 八角 |
横綱北勝海 |
22 |
2 |
| 三保ケ関 |
大関増位山 |
21 |
1 |
| 春日野 |
関脇栃乃和歌 |
20 |
4 |
| 二子山 |
大関貴ノ花 |
19 |
1 |
| 北の湖 |
横綱北の湖 |
18 |
1 |
| 片男波 |
関脇玉ノ富士 |
18 |
3 |
| 時津風 |
小結双津竜 |
18 |
3 |
| 陸奥 |
大関霧島 |
17 |
2 |
| 入間川 |
関脇栃司 |
16 |
2 |
| 放駒 |
大関魁傑 |
16 |
0 |
| 安治川 |
横綱旭富士 |
16 |
1 |
| 阿武松 |
関脇益荒雄 |
15 |
0 |
| 伊勢ノ海 |
関脇藤ノ川 |
15 |
2 |
| 高田川 |
大関前の山 |
15 |
0 |
| 尾車 |
大関琴風 |
14 |
1 |
| 中村 |
関脇富士桜 |
14 |
0 |
| 押尾川 |
大関大麒麟 |
13 |
2 |
| 松ケ根 |
大関若嶋津 |
13 |
2 |
| 式秀 |
小結大潮 |
13 |
0 |
| 九重 |
横綱千代の富士 |
13 |
2 |
| 追手風 |
前2大翔山 |
13 |
2 |
| 境川 |
小結両国 |
12 |
1 |
| 間垣 |
横綱若乃花2 |
12 |
1 |
| 東関 |
関脇高見山 |
12 |
2 |
| 朝日山 |
大関大受 |
12 |
0 |
| 二十山 |
大関北天佑 |
11 |
0 |
| 井筒 |
関脇逆鉾 |
11 |
0 |
| 春日山 |
前1春日富士 |
11 |
1 |
| 大島 |
大関旭国 |
11 |
2 |
| 友綱 |
関脇魁輝 |
11 |
2 |
| 宮城野 |
前13竹葉山 |
11 |
1 |
| 花籠 |
関脇太寿山 |
10 |
0 |
| 立浪 |
小結旭豊 |
10 |
0 |
| 二所ノ関 |
関脇金剛 |
9 |
0 |
| 桐山 |
小結黒瀬川 |
9 |
0 |
| 高島 |
関脇高望山 |
7 |
0 |
| 田子ノ浦 |
前1久島海 |
6 |
0 |
| 大鵬 |
横綱大鵬 |
6 |
0 |
| 峰崎 |
前2三杉磯 |
6 |
0 |
| 芝田山 |
横綱大乃国 |
6 |
0 |
| 湊 |
小結豊山 |
6 |
0 |
| 荒磯 |
小結二子岳 |
5 |
0 |
| 錦戸 |
関脇水戸泉 |
5 |
0 |
| 鏡山 |
関脇多賀竜 |
4 |
0 |
| 荒汐 |
小結大豊 |
2 |
0 |
| 伊勢ケ浜 |
大関清国 |
2 |
0 |
| 武隈 |
関脇黒姫山 |
1 |
0 |
| 合計 |
693 |
66 |
【注】親方は現役時代のしこ名。若乃花2は 2代目。九州場所8日目の理事会で、木瀬 部屋(木瀬親方=元前頭肥後ノ海)が、三保 ケ関部屋からの独立を承認され、来年初場 所から始動する。 |
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半数以上が赤字運営の相撲部屋、不況の波に押され気味
元横綱曙が総合格闘家に転向した。相撲界の将来を担う人材として部屋運営、力士育成を期待されていたが、親方業よりも新たな道を選択した。なぜか? 大相撲には現在、53の部屋が存在する。しかし、そのうち30以上が収支ではマイナスといわれている。力士を15人以上抱えなければ「赤字」運営になってしまうという。相撲人気低迷の影響もある。長引く不況で後援者からの支援も多くは望めなくなった。決して楽ではない親方衆の部屋運営の現実を探った。
力士15人が目安
力士30人を超える武蔵川からたった1人の武隈部屋まで、大相撲には53の部屋がある(九州場所前のデータ)。その運営はどうなっているのか。日本相撲協会から助成される力士育成費などの収入と、食費をはじめとする出費のバランスから、力士15人がひとつの目安になるという。単純には断定できないが、弟子をそれだけ集められなければ赤字運営を強いられる。イラストのように10人なら「持ち出し」になってしまう。
相撲界は企業と違って収益だけを追求できない。日本古来の伝統、文化としての相撲道を守り、伝承していく使命がある。日本相撲協会の総合企画担当理事・伊勢ノ海親方(57=元関脇藤ノ川)は言う。「景気が悪く、世の中では企業が生き残りをかけて必死で改革や変化を模索している。そんな中で我々がしなければいけないことははっきりしている。原点に戻ること。それに尽きる」。親方は部屋を運営し、力士を育てる。根本的な取り組みは不変というわけだ。
経済観念が必要
部屋を持つにはまず、資格としての年寄株が必要になってくる。一般的に2億円近い金額で売買されているという。それに部屋の建物を含めた住居の譲渡、弟子の移籍金などを加えると、その2倍、3倍の金額が必要とされる。株取得にはタイミングと親族、知人、後援者らの人脈をフルに生かしての資金力が条件になる。
部屋を持てても金はさらにかかる。食費はもちろん、地方場所の宿舎賃貸料もバカにならない。ある部屋はこの九州場所で月200万円を払っていた。協会関係者は「いかにやりくりするか。それが親方としての腕の見せどころでしょう」と説明した。今の親方には指導力に加えて高い経済観念も要求される。
後援会支援減少
若貴時代に象徴される相撲人気絶頂期には後援者からの厚い支援もあった。だが、その後の人気低迷と不況で今は多くを望めない。人気力士の引退相撲もかつては国技館が満員になり、その収益が株取得、部屋運営の元手になった。しかし、最近は観客が半分ということもある。相撲人気は弟子のスカウトにも影響し、やっと入門までこぎつけても力士として根付かない者も多くなった。金と時間をかけても力士は増えない。
「部屋を持つのは男のロマン」といわれている。伊勢ノ海親方は言う。「やりがいは力士がいっぱしになった瞬間を見届けた時にある。1人1人にドラマがあるからだ。十両や幕内に上がった時だけがうれしい瞬間ではない」。ただ、現実は労多くして報われることは…。ロマンをとるか現実を見つめるか。曙はもちろん、元大関小錦、元横綱3代目若乃花らの人材が流出した裏には、こんな事情がありそうだ。
◆相撲人気の背景 ライバル横綱同士の激闘があった。50年代を支えたのは、多彩な技を持つ栃錦と土俵の鬼の初代若乃花で「栃若時代」を築いた。60年代は横綱に同時昇進した柏戸、大鵬の「柏鵬時代」。「柏戸の剛、大鵬の柔」と形容され、紙一重の勝負がファンを沸かせた。70年代は輪島と北の湖の「輪湖時代」が熱戦を展開。平成に入っては3代目若乃花、貴乃花兄弟と曙の激闘が空前の相撲ブームを巻き起こした。現在の横綱は朝青龍ただ1人。ライバル不在も人気低迷に影響している。
◆年寄名跡(親方株) 日本相撲協会の運営や後進の指導に当たるために必要。著しい功績のあった横綱に贈られ継承ができない一代年寄の大鵬、北の湖、貴乃花を除いて、数は105に限られている。2月の立浪継承裁判では東京地裁が年寄名跡の価格を1億7500万円と認定。バブル期に比べて価格は下がったといわれるが、高値取引されている一端をのぞかせた。
相撲部屋あれこれ
◆部屋の間借り 名古屋場所で、荒汐部屋は毛織物工場の社員食堂を宿舎として間借りした。カーテンで仕切った約20畳の部屋に親方と弟子2人が一緒に寝泊まり。土俵は駐車場につくり、屋根や壁もなく、雨が降ればビニールシートをかぶせてしのいだ。
◆たたき上げオンリー 鳴戸部屋の力士は、外国出身者を除いて中卒者と高校、大学の中退者だけ。鳴戸親方(元横綱隆の里)いわく「枝が変な方向に伸びないうちに育てたいから」。引退して角界を離れても、大卒者に負けない人間の育成を目標に掲げている。
◆大横綱の買い出し 初代一代年寄の大鵬親方(元横綱)も、新米親方時代の苦労は一緒。71年12月に二所ノ関部屋から独立すると「自分で築地市場に通い、魚1匹から交渉し経費を節約した」。歴代1位の優勝32回を誇る大横綱が、自らの買い出しで弟子を養った。
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