末続10センチ差銅!夢に届いた/男子200M
<世界陸上>◇7日目◇29日◇パリ、サンドニ・フランス競技場
【サンドニ=牧野真治】パリで歴史的快挙が達成された。男子200メートルの末続慎吾(23=ミズノ)が、銅メダルを獲得した。両足をそろえる独特のスタート姿勢を審判に注意されて出遅れたが、ラスト30メートルからの驚異的な粘りで20秒38でフィニッシュ。4位のキャンベル(英国)を100分の1秒、距離にして10センチかわして表彰台に立った。男子短距離種目では世界選手権、五輪を通じて日本人初のメダルで、アテネ五輪代表にも内定。次は100メートル9秒台、そして金メダルの夢を追う。
パリの夜空に末続の絶叫が響き渡る。「ウォーーッ!」。高野コーチの腕に飛び込み、雄たけびを上げた。涙が止まらない。ウイニングランのために用意した日の丸がクシャクシャになったが、興奮で気付かなかった。日本人には無理といわれた短距離種目(100、200、400メートル)、夢にまで見たメダルが今、手中にある。1912年(明45)ストックホルム五輪に三島弥彦が出場以来91年。日本人初の快挙だ。ほほえましい光景に国境を越えた、万雷の拍手が沸き起こった。
栄光のゴールに横一線でなだれ込む。勝負はまれに見る混戦。メダルの行方は競技場大画面の速報掲示に委ねられた。1位カペル、2位パットン。だが、3位のところで画面が止まった。写真判定−。1分以上待たされた。「生きた心地がしませんでした。でも、観客の人がお前が3番だって言ってくれて、本当かよって…」。心臓が口から飛び出しそうだった。その時間が、末続には何十分、何時間にも感じられた。
4位キャンベルに100分の1秒競り勝った。約10センチの差だった。天と地を分けたのは握り拳程度のわずかな距離。「1回じゃ信じられないんで、何回も(掲示を)見ました。手の震えが止まりません」。脳裏に浮かんだのは東海大キャンパスの坂道。雨の日も風の日も自転車に乗った高野コーチを追って走り込んだ。「頭がショートして意識がなくなるんです。(メダルは)血と涙の結晶ですね」。走るたびに吐いた。練習過多で胃腸を痛めたこともある。勝利の女神を振り向かせたのは、壮絶な練習だ。
熊本・阿蘇郡で生まれ育った。イノシシのいる裏山を走り回り、祖父のつくるイノシシ鍋が大好物だった。実家の目の前には「伝説のちびっ子公園」がある。タッ、タッ、タッ…。午後8時すぎ、真っ暗な公園に足音が響き始める。中学生時代の末続だった。走るのが好きで好きでたまらなかった。学校から帰ると必ず2時間の走り込み。つらくないか? 両親の問いかけにも「やらされてるんじゃない。やりたくてやってるんだよ」と答えたという。好きだから耐えられる。つらさがあるから喜びも大きい。競技に取り組む姿勢は少年時代から一貫している。
夢の20秒間。そのスタートに考えられないアクシデントもあった。両足をそろえる独特のスタイルを、審判に違反と見なされた。「1次予選から何も言われてないのに何でだろう? でも、ファイナルだからこんなこともあるかなって。影響はありありでしたけど」。ルールブック上も問題があるとは思えない。すい星のように現れた東洋のスプリンターには、海外メディアも強い関心を示していた。
普通なら動揺してもおかしくない。だが、末続は世界舞台の決勝、それだけでも異常な空間で逆境を跳ね返した。本気度120%の走りは途中で左足をけいれんさせたが、屈しなかった。「3年前に父(陽一郎さん)を亡くしました。ショックを受けてましたけど、そこを乗り越えて強くなりました」と母和子さん。今回の遠征にはこっそり父の写真を忍ばせていた。レース後、末続は真っ先にこう言った。「父さん、母さん、ありがとう」。
スタート反応は0秒176で8人中7番目だった。だが、最後は暴れ馬のような追い込みでブロンズに手を伸ばした。手に入れたのはそれだけではない。アテネ五輪代表に内定した。「伊東浩司さん、高野さんのおかげでファイナルまでの道はできていた。ここからは自分で切り開いて行きます」と末続。花の都パリに咲いた大輪の花は、興奮の中でもう前に進み始めていた。
[2003/8/31/09:15 紙面から]
写真=男子200メートルで日本人短距離史上初のメダリストとなった末続慎悟は、銅メダルにかぶりついて喜びを表した(撮影・宇治久裕)
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