<J1昇格へ…1年目都並ベガルタ(5)>
都並監督は長年在籍したV川崎(現東京V)時代、チームからのコーチ招請を断っている。現役へのこだわりはだれよりも強かった。19人の監督(代表監督4人を含む)のもとで18年間プレーし続けた。「プレーしているときは将来の自分を想像している暇などなかったけどいろいろな監督に出会った。戦術、チームの雰囲気作り、理論、トレーニング法…。長所も短所も見てきた」。選手から指導者へ。そこで培ったノウハウは今に生きている。
最も影響を受けた指導者に、現J1名古屋のネルシーニョ監督(55)の名前を挙げる。「監督を意識し始めたのはあの人に出会ってから。プロ意識の高さ、トレーニングの準備。そして何よりも選手に対する言葉かけが絶妙だった。サテライトでも調子がいい選手をすっと起用したりする。ベテランだってダメだったら外された。はっきりした人。負け続けても選手の責任にはしなかった」。
「エストラガード・ラランチャ(腐ったミカン)」。ネルシーニョ監督は95年にV川崎監督に就任。その年の第2Sを制し日本代表監督候補に内定。だが、サッカー協会は当時監督だった加茂周監督(61)の続投を決定した。そのとき、ネルシーニョは、協会の体質をそう批判した。上の人間に対して厳しく、立場の弱い人間に対しては寛容に。権威に対して臆することなくものをいうその姿勢は、選手管理に現れていた。
昨季、チームは開幕ダッシュに失敗するなど昇格争いから脱落、最終成績6位と低迷した。ベルデニック前監督(55)はシーズン中から「選手のクオリティー低さ」を敗因として指摘し続けた。一部選手のモチベーションは急降下し、負の連鎖は加速するばかりだった。
「監督は、その選手を使った責任を負っている。選手は宝。使っているのは僕だし敗戦の責任は自分にある」。明るく楽しいサッカーを掲げ船出した就任1年目の都並丸。山あり谷あり44試合をいかに乗り切るか。かじ取り役の手腕が試される。
[2005/2/19/10:19 紙面から]
写真=C大阪との練習試合で指示を出す仙台の都並監督(16日、シーガイア)
|