リオデジャネイロ五輪体操男子で日本チームを3大会ぶりの団体金メダルに導いた水鳥寿思監督(36)。世界一のカギは「指導」ではなく「チームマネジメント」にあった。12年ロンドン五輪後に団体優勝を課されて就任、プレッシャーの中で選手を陰から支え最強の「内村ジャパン」を作り上げた。柔道、競泳、レスリングに並ぶ日本の金メダル量産競技。04年アテネ五輪金メダリストの水鳥氏は、20年東京五輪でも金メダル量産を目指す。

リオデジャネイロ五輪で男子体操団体を金メダルに導いた水鳥寿思監督2
リオデジャネイロ五輪で男子体操団体を金メダルに導いた水鳥寿思監督2

■引退後すぐ就任「青天のへきれき」だからできた選手目線

 鉄棒、平行棒、あん馬に跳馬…、体操器具が整然と並ぶ東京・北区の味の素ナショナルトレセン体操場、水鳥氏は静かに腰を下ろした。ロンドン五輪後の12年12月、男子強化のトップに抜てきされた。現役引退から半年、指導実績もないまま体操ニッポンの復活を託された。課されたのは団体での金メダル獲得だった。

 水鳥氏 青天のへきれきという感じで(笑い)。推薦された時は間違いかと思って。ただ、選んでもらったからには、やれるだけのことをやろうと思った。今回は銀メダルでは意味がない。みんな銀は持っているし、(内村)航平も銀ではうれしくないだろうし。

 最初こそ、任されたからには自分のやり方でと考えた。水鳥寿思の色を出そうとした。しかし、気がついたのはマネジメントの大切さ。自らは1歩引き、選手が力を出せるチーム作り、環境作りに力を注いだ。コーチとしては未経験だったが、貴重な経験があった。アテネ五輪の代表チームがヒントになった。

 水鳥氏 アテネでも(監督の)加納(実)先生から手取り足取り指導されたとかはなかった。米田(功)さんを中心に、選手主導でやっていた。直接の指導は僕よりも年上で経験豊富な各所属のコーチに任せ、1歩引いて全体を見る。中長期的な方向性を決める。自分がではなく、みんなで作っていくことが大事。3年やって、それが分かった。

■リオの栄光導いたのは主将 監督は一歩引いてマネジメント

 チーム作りは、エース内村を中心に進めた。そこでも経験が生きた。アテネ五輪チームの中心だった米田主将の役割を、内村主将に求めた。金メダルの目標にチームを引っ張るのは、監督ではなく主将だった。

 水鳥氏 ロンドンのリベンジだし、航平が一番目指したいところをみんなで目指すのがいいと思った。練習の中身も僕らが与えるのではなく、選手が考えて僕らは環境を整える。もちろん僕も考えるけれど、航平が考えた方がいい。航平がチームを作ることが必要だと、本人にも伝えた。選手に積極的に声をかけてほしいとも言った。

 チームは内村を中心に結束した。15年の世界選手権で早々と代表に内定した後は、残り4枠の代表争いを「監督」として見守った。リオでの戦い方まで口にした。代表決定後、5人全員が掲げた目標は「団体金メダル」。水鳥監督の狙い通り、内村主将を中心とした最強チームができた。

 水鳥氏 航平の自覚がうれしかった。今までは自分が頑張れば(他が)ついてくるという感じだったけれど、選手に「こうした方がいい」と声をかけるようになってくれた。(リオへ)出発する前の会見でも、監督のつもりで目を配っていたと言っていた。自分のやろうとしたことが、航平に伝わっていた。僕としては「水鳥ジャパン」ではなく「内村ジャパン」。選手たちが航平を中心に気持ちよくやってくれたことが、勝因の1つになった。

リオデジャネイロ五輪で男子体操団体を金メダルに導いた水鳥寿思監督
リオデジャネイロ五輪で男子体操団体を金メダルに導いた水鳥寿思監督

■予選4位も焦らず信頼

 リオ五輪団体予選はまさかの4位。金メダルが厳しいと思われても、水鳥監督は内村を中心とした大人の選手たちを信じていた。

 水鳥氏 翌日、全員が失敗したところを確認して成功させた。自信を取り戻せた。4位とはいえ1位との差は1・2とわずか。日本の強みである床運動を最後にできる。プレッシャーがかかる場面で自信のある種目ができるのも良かった。みなさんが心配しているよりも前向きだった。選手には、気持ちが強い方が勝つという話をしました。

 内村ら選手は予選とは見違える演技で金メダルを獲得。抱き合って喜ぶ選手、コーチたちと離れ、水鳥監督は静かに喜びをかみしめていた。自らは1歩引き、チームマネジメントに徹したからこそ、逆境をはねのける強い選手の集団ができた。選手として、監督として、五輪で頂点に立った。

 水鳥氏 僕が金を取ったわけじゃない(笑い)。取ったのは選手。正直、この選手たちなら取れると思っていた。20年かけて選手を育てて取らせるのとは違う。育ってきた選手をマネジメントしているだけ。本当にすごいのは所属の指導者であり、選手たち。「監督にはメダルないのか」と聞かれるけど、むしろいらない。僕がもらったら価値が下がりそうじゃないですか(笑い)。

 指導よりもマネジメントに徹した仕事は、東京五輪へと続く。団体連覇はもちろん、種目別でのメダル量産も狙う。頭の中には、すでに青写真もある。

 水鳥氏 選手選考は、スペシャリストを重視した形にしたい。平均的に強い選手がいいと思われるが、そこは目指したくない。団体だけになってしまうから。種目別でも強くないと代表に入れないようにしたい。僕は選手を持っていない。それを生かして柔軟に、フラットにやりたい。さらに、体操競技の環境作りも。協会の自立した仕組みをいかに作っていくか、東京五輪までそういうことも考えないといけないですから。

【荻島弘一】

 ◆水鳥寿思(みずとり・ひさし)1980年(昭55)7月22日、静岡市で6人兄弟の次男として誕生。6歳の時に両親経営の「水鳥体操館」で本格的に体操を始め、岡山・関西高では高校選抜個人総合2位。日体大から徳洲会に進み、04年アテネ五輪団体金メダルに貢献。07年世界選手権では補欠から繰り上がりで出場し、種目別で銅3個と活躍した。その後は度重なるケガで苦しみ、12年5月に引退した。現役時代のサイズは172センチ、64キロ。

◆体操ニッポンと五輪 60年大会から団体総合で5連覇、表彰台を3回も独占するなど圧倒的な強さを誇った日本の男子。「鬼に金棒、小野に鉄棒」といわれた小野喬、日本最多の金メダル8個を獲得して「体操の教科書」と称された加藤沢男、「ムーンサルト」の塚原光男らが5大会で実に23個の金を獲得した。84年大会の具志堅幸司、森末慎二以来金メダルから遠ざかっていたが、04年のアテネで20年ぶりに獲得。過去2大会は内村航平が個人総合で連覇し、再び「体操ニッポン」が世界から注目されるようになった。

(2017年2月8日付本紙掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。