2回目の東京五輪も「現役」だ。日本体育協会は64年東京五輪の日本代表選手の健康と体力調査を4年ごとの五輪年に実施している。半世紀にわたる追跡調査で、オリンピアンの筋力、骨などの強さが証明された。男子マラソン代表だった君原健二氏(76)は20年東京五輪の聖火ランナーを目指し、重量挙げ金メダリストの三宅義信氏(77)は東京五輪翌年の21年に関西地方で開催されるワールドマスターズゲームズへの出場を目指している。


■君原健二76歳、地球5周目疾走中

マラソン君原健二氏のデータ
マラソン君原健二氏のデータ

 1度目の東京大会から53年。君原氏の体形はほとんど変わらない。体重は1・6キロ増の58・6キロ、右太ももはマイナス0・9センチの47・4センチ。現役時代は35回のフルマラソンに出場したが、引退後も39回走り、すべて完走した。「地球5周目(1周4万キロ換算)を走っている」。今も週3回、最低5キロ、30分の練習は欠かしたことがない。

 64年東京大会時から日本体育協会の健康・体力追跡調査を受け続けている。「健康の3要素は運動、休養、栄養をバランス良くとること。現役時代も、この3要素をうまくサイクルさせていた。強化と健康の基本は共通している」と、引退後の健康、体力維持への意識は、誰よりも高い。

 引退以来、市民大会などのゲストに招かれることが多い。今も月1回程度はある。「握手してください。サインしてくださいと、喜んでくれる人がたくさんいる。とてもやりがいがある。だから、日ごろから走って準備をしようと。使命とまではいわないが、それが自分の役割と思った」。64年東京大会8位、68年メキシコ大会銀メダル。76歳の今も走り続ける理由の1つに、オリンピアンとしての強い矜持(きょうじ)がある。

 昨年4月、66年大会を制したボストンマラソンに出場し、完走を果たした。だが、その後、新たな目標を失い、フルマラソンを走る意欲が消滅。一時は走る気力を失いかけたが、3年後の2度目の東京大会の存在に救われた。「聖火ランナーは全国を走る。どこかで、走らせていただきたい。その時のためにも、走力を落とすわけにはいかない。体力も維持する」と走ることはやめなかった。


 亡き友への思いも励みになる。64年東京大会銅メダルの故円谷幸吉さんとは同学年のライバルだった。円谷さんは68年メキシコ五輪前に自殺。「円谷さんのことも考えながら、一緒に聖火リレーを走りたい。『また東京五輪が来た。一緒に応援しよう』と話し掛けながら」。3年後は79歳。「健康のためにも、走ることが、わたしにとって一番」と、生涯現役を宣言した。【田口潤】


■三宅義信77歳、胃がん乗り越えマスターズへ

重量挙げ・三宅義信氏のデータ
重量挙げ・三宅義信氏のデータ

 2013年、2度目の東京大会招致決定が転機だった。三宅氏は翌14年にマスターズでの現役復帰を決めた。「東京に決まって、どう恩返しするか。現役に戻れば、メディアが報じてくれる」。重量挙げを盛り上げ、同年代の励みになることを誓った。

 復帰して3年。決して順風満帆ではなかった。11、12年に患った胃がんが15年5月に再発。それでも手術を受ける直前に全日本マスターズ選手権に出場して優勝した。「病気をしても、夢があれば、耐えて、生きられる」と、現役選手としての自覚と気力で、がんに打ち勝った。

 5年前には膵臓(すいぞう)に膿疱(のうほう)ができて、1カ月以上入院した。点滴注射を打たれ、水も飲めない日々。それでも「寝たきりでは足がダメになる」と、朝昼晩の3回、点滴を持ちながら、1階から10階までの階段を上がった。スクワットもした。「一生懸命に創意工夫して何かをつかむ」。その考えと行動は、金メダルを取った現役時代と変わらなかった。

 最大の目標は東京大会翌21年のワールドマスターズゲームズ。81歳で迎える大舞台へ、今は週2回、多いときで2時間もバーベルを持ち上げる。練習後は脈拍、血圧を測るなど、体調と健康維持には最善を尽くす。「病気と寿命は違うんだよ」。言葉に説得力があった。【田口潤】



■渡辺長武76歳、毎日腹筋500回!!

レスリング渡辺長武氏のデータ
レスリング渡辺長武氏のデータ

 アニマルは、今も鍛え続けていた。都内のスポーツジム、64年東京五輪レスリング男子フリー63キロ級で金メダルを獲得したアニマル渡辺こと渡辺氏はトレーニングを終えて爽やかな表情をみせた。「毎日腹筋500回。続けるのが健康の秘訣(ひけつ)」と言って笑った。

 東京五輪後に23歳で引退し、88年ソウル五輪出場を目指し47歳の時に全日本社会人選手権で現役に復帰した。さらに、03年にはマスターズ世界選手権で優勝。階級は40年前と変わらない63キロ級だった。その後試合には出ていないが、トレーニングは続けている。「病気もないし、体調はいい。東京五輪前の練習が基本にある」と、伝統でもある猛練習を振り返った。

 毎晩、焼酎を5合。果物と豆類が好きだが、特に食事に気を使うことはない。午後9時には寝て、起床は午前4時半。届いたばかりの朝刊を読み、早朝のテレビニュースを見るのが日課だという。「(20年)東京五輪が決まった時は、そこまで頑張ろうと思った。でも、9月にはロスかパリの28年大会まで決まる。そこまでは頑張らないと」。レスリング日本代表を応援して、自らもマスターズで復帰するつもり。「やっぱり金メダルをとらないと。私も、マスターズで金を狙いたい」。76歳は元気いっぱいだ。【荻島弘一】


■井戸川(旧姓谷田)絹子77歳、毎週バレー指導

バレーボール井戸川(谷田)絹子氏のデータ
バレーボール井戸川(谷田)絹子氏のデータ

 「東洋の魔女」の一員として、東京五輪女子バレーボールで金メダルを獲得した井戸川(旧姓谷田)さんは故郷大阪・池田市の体育館で指導を行っている。毎週木曜日はママさんバレー、春秋冬には初心者向けの教室を担当。今年9月で78歳を迎えるが「今でも体育館でボールを投げますよ。膝が悪くてつえを突いて歩いていたときも、表に出ると絶対に使わない」と言葉も体も力強い。

 53年前の五輪はレフトで得点源となり、全試合フル出場。大会後に第一線を退き、東京、宮崎、山口を渡り歩いた。生活にとけ込むバレーは、「体の一部。体が動かなくなるまでやりたい」と言い切る存在だ。

 4年に1度の健康調査は、猛練習を耐えた当時のメンバーとの再会の場。昨年12月、肋骨(ろっこつ)にヒビが入り入院した井戸川さんは「バランスはだんだん悪くなる。私は『衰えた』と平気で言えるんだけれど、他の人は絶対に言わない」と笑う。「次、それするの~ !?  しんどいのに~」と発し、「何がしんどいの ! 」とくる返事は、時代を巻き戻すようだ。

 20年東京五輪の招致決定の瞬間に思ったのは「もう1回出たい ! 」。日の丸を背負う後輩を「ケガがないように、練習したことを全部はき出してくださいね」と温かく見守っている。【松本航】


体力測定結果
体力測定結果

<平均75歳 一般人よりやっぱり強い>

 日本体育協会は50年以上にわたって、64年東京大会に出場した380人の日本代表選手の健康と体力の変化を調査してきた。68年メキシコ大会から「一流競技者の健康・体力追跡調査」として4年に1回の五輪年に実施。リオ五輪年の昨年11月に13回目が行われ、男女106人が参加した。

 男子の平均年齢は76歳、女子は74歳。握力は男子が38・62キロ、女子が25・83キロ。一般人と比べると、男子が3・55キロ、女子が3・34キロ上回った。柔軟性の長座体前屈も男女ともに一般人の数値を超えた。現在の歯数も一般人より6本多い。男女とも骨の強度が低下する骨粗しょう症や、骨量減少と判断された人は誰もいなかった。

 長年調査にかかわる前国立スポーツ科学センター長の川原貴氏(66)は「オリンピアンは筋力があり、骨が丈夫で、歯も強い」と一般人との違いを分析。一方でバランスを測る開眼片足立ちの数値は一般人より劣った。川原氏は「筋肉、骨の強さの持ち越し効果は高いが、柔軟性、バランス能力は、常に刺激を与えないと、一般人同様に数値が下がる傾向はある」と説明した。

 国際スポーツ医学連盟が推奨し、世界保健機関(WHO)の協力を得て始まった健康・体力追跡調査。当初23カ国が参加も、現在継続しているのは日本1カ国のみだ。川原氏は「これらのデータを一般人に役立てられれば。東京五輪の1つのレガシーにしたい」と、20年に向け、国際オリンピック委員会(IOC)などが主催する国際会議などで発表していく考えだ。


(2017年8月9日付本紙掲載)