<12年ロンドン五輪女子100メートル背泳ぎ銅メダリスト/寺川綾(30)>

 オリンピックは自分にとって特別な存在です。良いことも、悪いことも経験し、生き方を学ぶことができました。大学2年でアテネ五輪に初出場。決勝に残ればいいとの気持ちで200メートル背泳ぎでは8位入賞。重圧にのまれ、何でこんなに手が震えるんだろうと思うくらい、手の震えが止まらなかった記憶があります。08年北京五輪は4月の選考会で2位以内に入れず、出場権を逃しました。社会人2年目の23歳。当時の女子選手の常識なら引退が既定路線。3位で上った表彰台では、日本水連幹部のプレゼンターに「長い間本当にお疲れさまでした」と言われたのです。勝手に現役生活を終わらされたと、悔しさが込み上げてきました。このままでは終われない。現役続行を決意しました。

 08年末、五輪メダルを取るため、平井伯昌コーチの元を訪ねました。最初は断られましたが、何度も押し掛けて、合宿への参加を認めてもらったのです。強くなるために必死でした。これまではコーチが定めた目標に誘導されてましたが、平井コーチとは、一緒に目標を確認し、一緒に頑張るという感覚。どこか受け身だったのが、能動的な姿勢に変化したのです。

 ロンドン五輪100メートル背泳ぎ決勝前の招集所の風景が忘れられません。金メダルを取ったフランクリンは直前に自由形のレースに出ていました。息が上がり、顔は真っ赤。隣で銀メダルのシーボムは、自分のドリンクを持って行って「大丈夫」と声かけた。金メダルのライバルへの気遣い。同じ立場だったらできたか。自分なら金メダルのチャンスと、気遣わず見過ごしていたかもしれない。

 レース直前1分前でしたが、いいものを見せてもらった。この人たちと一緒に表彰台に上りたい。2人に続く銅メダル獲得への原動力になりました。ただ速く、強いだけではメダルは取れない。選手としてではなく、人として成長することが、メダリストにふさわしい。人生で大切なことを教えてくれた五輪が自国で開かれる。一生に1度のチャンス。選手として迎えられる人には、その幸運を大切にしてほしいです。(2015年10月28日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。