<女子バレーボール元日本代表 大山加奈(32)>

 オリンピックを身近に感じられたのは、あの一言があったからです。小学6年の全日本小学生大会を連覇したとき、表彰式で当時代表エースだった大林素子さんから「全日本に来てね」と言ってメダルをかけてもらいました。大林さんの一言で、オリンピックが夢から現実の目標になったのです。

 成徳学園中、成徳学園高(現下北沢成徳高)時代は日本一を経験。高校3年で日本代表デビュー。メグ(栗原恵)と「メグカナ」コンビと騒がれましたが、夢の五輪目前からは苦闘の連続でした。持病の腰痛の影響もあり、(04年)アテネ五輪最終予選から不調。五輪本番も万全とは程遠い状態でした。

 本当の地獄は五輪後に待っていました。五輪翌年の05年は腰痛が悪化し、日本代表を辞退。その後も腰の状態は一進一退で、(08年)北京五輪前は、まともに歩けなくなりました。手術を決意。五輪開催時は、まさに入院中で、ベッドの上で観戦しました。翌年、(12年)ロンドン五輪を目指して、484日ぶりにVリーグに復帰したんですが、すぐに腰痛が再発。翌年引退を決めました。

 実は腰痛は小学校時代に発症したのです。小学6年で175センチ。エースとして朝から夜までスパイクを何本打ったか分かりません。中学時代から腰にサポーターを巻いていました。今、年間80回ほど、バレーボール教室を行っていますが、まず親御さんと指導者に、オーバーワーク防止を徹底しています。自分のようにケガで苦しんでほしくない。子供たちはプレーしたがりますから、セーブさせることは大人の仕事です。

 13年に東京五輪招致が決定したときは、本気でビーチバレーでの復帰を考えました。ただやはり腰痛の再発のリスクも高く断念。今は高校の同級生で、出産後に現役復帰し、昨年リオデジャネイロ五輪に出場した荒木絵里香(トヨタ車体)の東京五輪出場を願っています。五輪本番では、絵里香の娘と、まだいませんが自分の子供と一緒に絵里香を応援することが夢です。

(2017年3月22日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。