<ロッテ投手コーチ 小林雅英(42)>

 僕の04年アテネ五輪は「予選」の印象が強かった。03年11月、札幌でのアジア選手権が予選。長嶋茂雄監督が本戦に出られないなんて、あってはならない。日本がアジア一にならないと僕の価値もなくなるとも思っていました。短期間でしたが、1位で出場権を獲得できた、あの3試合は大きな財産です。最後の韓国戦の9回に投げました。その後、監督は具合を悪くされてアテネには行けなかった。〝最後の3アウト〟を任されたことは、自慢することではありませんが、数少ない、野球をやってて良かったと思えることでした。

 本戦は使命感が重なりました。もし長嶋監督が一緒だったら、ああいう気持ちで戦うことはなかった。監督のため、日本のため、自分たちのため。プロしかいない我々は、五輪は素人でした。メダルには、まず準決勝に進めばいい。いま思えば予選は抜きどころもあったのに「全勝で金メダル」の雰囲気だった。変な緊張で疲労がすごかった。結果、予選で負けたオーストラリアに準決勝でも負けた。向こうは1回勝って、自信を持ってました。カナダとの3位決定戦で最後を任されましたが、勝った瞬間「残念」と思ってしまった。ただ、その経験が翌05年のロッテ日本一に役立ったかな。シーズンを戦うメリハリを学びました。

 帰国後すぐ、みんなで長嶋監督にお会いしました。車椅子で来てくれた。ありがたくて、申し訳なくて、僕らの知っている長嶋茂雄じゃなくて。うれしくもあり、つらくもあり。「銅メダルでも良いんだよ」と言われ、ホッとしました。見てくれてたんだと。1人1人と握手。涙が出ました。

 東京は、野球にとって大変な五輪になるでしょう。競技が復活し、日本で開催。WBCからの流れもある。一流選手を集めるだけで「全勝で金メダル」なんて言ったら、僕らと同じ轍(てつ)を踏むかもしれない。五輪の戦い方ってあります。みんなで知恵を出して、勝ちきるための道筋を考えたいですね。僕も、ロッテの選手が多く代表に入れるよう手助けできたらと思います。

(2017年5月3日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。