パラリンピックに冬・夏季7大会連続で出場し、合計3つの金メダルを獲得している土田和歌子(43=八千代工業)が18日、東京都内の日本財団ビルで会見し、車いすマラソンからパラトライアスロンへの転向を表明した。

 「私はこの23年間、陸上競技に真摯(しんし)に取り組んできました。やり残したことがないと言えばはうそになりますが、身体的状況と心境の変化から退路を断ち、自分の新たな可能性を広げるために、未知の競技であるトライアスロンへの転向を決意いたしました」。会見の冒頭、土田はトレードマークの明るい笑顔を隠し、引き締まった表情でこう言った。

 新たなチャレンジはちょっとしたきっかけからだった。16年11月のニューヨークシティーマラソンに出場した際、激しい運動が原因の運動誘発喘息(ぜんそく)になった。昨年になって治療と体づくりのために本格的に水泳を始めた。車いすマラソンのクロストレーニングとしてハンドサイクルも取り入れた。自然にPTWC(車いす)クラスに出場する条件が整った。体づくりの成果と試すために出場した4月のアジア選手権(フィリピン)、5月の世界シリーズ横浜大会を制覇。そして9月にオランダで行われた世界選手権に挑んだが、海水温の低さから過呼吸症状を起こし、スタートできなかった。「あの経験で自然を相手にするトライアスロンの壁の高さを知り、超えてみたい、この競技を極めてみたいと思うようになりました」。

 転向する以上は20年東京大会でのメダル獲得が目標になる。ただ、国際パラリンピック委員会(IPC)はトライアスロン、競泳、陸上の3競技に関して、いまだに東京での実施種目(クラス)を明らかにしていない。トライアスロンについては男女とも3種目(通常は6種目)、出場選手数は男女40人ずつと発表されているだけだ。IPCは今年12月末を期限に詳細を発表する。現時点で東京大会へ出場できるかどうかも不明だが、「自分の中にこの競技で上を目指し、超えていきたいという強い思いが生まれています。東京に出られなくても変わりません」と今後、車いすマラソンへの復帰がないことを明言した。

 00年シドニーで銅、04年アテネで銀メダルを獲得して以来、追い続けてきた車いすマラソン金メダルの夢。16年のリオデジャネイロでは1位とわずか1秒差の4位という悔しさを味わった。そんなすべてを投げ捨ててのトライアスロン挑戦。19日からは宮崎県内で強化選手合宿に参加し、2月17日にオーストラリアで開催されるW杯から世界を転戦する。「これまでの取り組みでは多くのサポートに支えていただき、数々の結果を収められたと思っています。陸上競技があってのトライアスロン挑戦。パラ陸連をはじめ、ご尽力いただいた多くの方々に深くお礼申し上げます」。日本初の夏冬パラリンピック金メダリストは、陸上界に心からの感謝を表して新たな道を走りだす。【小堀泰男】

 ◆土田和歌子(つちだ・わかこ)1974年(昭49)10月15日、東京都生まれ。高校2年の時に友人とドライブ中の交通事故で車いす生活に。アイススレッジスピードレースでパラリンピック1994年リレハンメル、98年長野大会出場。長野では1000、1500メートルで金メダル、100、500メートルで銀メダルを獲得した。陸上転向後は2000年シドニーから16年リオデジャネイロまでパラリンピック5大会連続出場。04年アテネの5000メートルで金、車いすマラソンではシドニーで銅、アテネで銀メダル。05年に結婚し、06年に長男を出産している。