日本女子が前回覇者オランダとの決勝を2分53秒89の五輪新記録で制し、悲願の金メダルを獲得した。準決勝のカナダ戦を高木美、高木菜、菊池で突破し、決勝は菊池と佐藤を入れ替えて臨んだ。高木姉妹は、10年バンクーバー五輪は美帆、ソチ五輪は菜那だけが出場。2人そろった初の五輪で、表彰台の中央に並び立った。高木美は日本女子で初めて1大会で金、銀、銅の全メダルを獲得。今大会の日本のメダル総数は11個となり、最多だった98年長野五輪の10個を超え、史上最多となった。

 ゴールに駆け込んだ高木美、佐藤、高木菜が同時に両拳を突き上げた。荒い呼吸で下を向くスケート王国オランダの選手を横目に、準決勝で滑った菊池を加え、歓喜の輪が出来た。気持ちをつなぎ、つかみ取った金メダル。妹のラスト1周での逆転に思いを託した高木菜は「みんなで練習してきて、みんなが見守ってくれたから最後までゴールできた。本当に誇りに思う」と喜びの味をかみしめた。

 妹への嫉妬が菜那を変えた。09年12月、2歳下の美帆が国内史上最年少の15歳でバンクーバー五輪代表に選ばれ、「スーパー中学生」と脚光を浴びた。その横で、菜那の心は荒れていった。「美帆の姉」として扱われるいら立ち。リンクでその妹に勝てないいら立ち。けんかも増え、両親にも当たった。「口に出すと悔しくて泣いてしまう」と誰にも本音は言わなかった。

 当時、帯広南商高で菜那を指導していた東出俊一さん(61)は「美帆宛てに届いた日本代表の服を見た菜那が、『燃やしてやろうかと思いました』と笑いながら言っていた。もちろん冗談だが、それだけ妹を意識していた」と振り返る。だが、「転べばいい」とさえ思っていた五輪で菜那の嫉妬は消えた。あれだけ速かった妹が最下位に沈んだ。「上には上がいる」。自らの4年後へと視線を向けた。

 今度は、姉の姿が美帆を変えた。13年12月のソチ五輪代表選考会で、まさかの落選。失意の中で、五輪切符をつかんだ菜那の喜ぶ顔を見た。4年間「五輪」と言い続けていた姉。「そこまでガツガツしなくても」と思っていた自分が情けなかった。五輪へのこだわりの差が結果に表れた。かつての菜那と同じように、美帆もまた、4年後へと決意を固めた。

 2人で初めて立った平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)。「一緒に出よう」などという会話はなかった。ただ、金メダルを取るため、互いを高め合ってきた。2人をよく知る日体大の青柳徹監督は「100人のテストで98点の3位だったとしたら、『あと上に2人いる』と思うのが菜那。『あと2点で100点だった』と思うのが美帆」とその性格を分析する。

 チームに世界トップのスピードをもたらした美帆と、勝つことに執念を燃やし、体を張ってきた菜那。その2つの個性は、「世界一」の武器となった。表彰台に姉と並んで立った美帆は「今までで一番のレース。最後まで一丸となって滑り切れた」と個人種目以上にうれしそうに言った。8年におよぶ高木姉妹の五輪物語。25歳と23歳になった2人に、最高の結末が待っていた。【奥山将志】

 ◆五輪の同一大会最多メダル 個人で2個のメダルを獲得していた高木美は、冬季の日本女子で初めて同一大会で3個のメダルを獲得。男子では98年長野大会ジャンプ・ラージヒル、団体で金、ノーマルヒル銀を獲得した船木和喜の3個。夏季では体操で通算13個のメダルを獲得した小野喬が、60年ローマ大会だけで金3、銀1、銅2。女子の最多は12年ロンドン五輪競泳の鈴木聡美の3個。

 ▼観客席で見守った高木姉妹の父愛徳さんのコメント 4人で力を合わせて日本に勇気を与えてくれた。ご苦労さまと言いたい。(姉妹は)リラックスしているように見えるし、この大会はすごく楽しんでいるのかなと思う。