萩野選手と瀬戸選手が、競泳の男子400メートルメドレーで金メダルと銅メダルを獲得した。競泳日本勢のダブル表彰台は60年ぶりの快挙だそうで、日本チームも幸先良いスタートとなった。2選手の努力、また平井コーチのこれまでの指導が素晴らしかったという前提で、北島選手含め、競泳界がなぜこれほどメダルを再現できるようになったかを考えてみたい。

 振り返って00年のシドニー五輪。千葉すず選手が日本選手権を優勝したにもかかわらず代表に選ばれなかったことを不服として、スポーツ仲裁裁判所に日本水連を提訴した。結果として、代表には選ばれることはなかったが、そもそも選考基準が曖昧だったとして、裁判費用の一部を日本水連が負担する結果となった。

 それを受けて日本水連は選考基準を明確化し、派遣標準記録をクリアした上で日本選手権2位という明確な基準を設けた。私の知る限り、全てのスポーツの中で最も明確な選考基準だと思う。

 選考基準を明確化することには良い点、悪い点があると思う。選考基準が明確であれば、選手の普段の行動が選考に反映されないために、パフォーマンス向上に集中出来る。また、一発選考は一発勝負に強い選手を育てる傾向を強め、結果として勝負強い選手が増えると予測される。悪い点は、将来を考えて世界を経験させたい選手を排除してしまうことで、先物買いが難しくなることだ。結果だけ見れば、00年以降、競泳は順調に成長し、メダル獲得にも再現性があることを考えると、ある程度この選考システムが機能していると私は考えている。

 さて、振り返ってあの時、千葉すず選手が訴え出なかった場合、選考基準は変わっていただろうか。時として、はみでた選手の行動と言動が競技自体を進化させることがある。

 競技の強化は短期(数年程度)では個人の努力だが、長期では、組織の方針と戦略が勝負を決める。戦術は戦略に勝てず、個別最適は全体最適に勝てない。

 これから五輪で見るのは個人の努力の成果だが、その奥にある、そのスポーツがこれまで行ってきた十数年の強化戦略も同時に想像できれば、より五輪が面白く感じられるのではないか。組織の戦略ミスを、個人が根性で補うというのが日本では繰り返されてきた。それを脱却するヒントが見られるかもしれない。

【為末大】(ニッカンスポーツ五輪コラム「為末大学」)