杉谷一族特集:後編

20年東京五輪「一族で11大会」初メダルへ挑戦続く

 リオデジャネイロ五輪に全競技を通じて日本人夏季五輪最多となる6大会連続出場する障害馬術の杉谷泰造(40=杉谷乗馬クラブ)は、祖父川口宏一さん(享年91)、父杉谷昌保さん(73)も障害馬術で五輪に出場した「五輪一家」に育った。出場は3世代合わせて実に10大会。杉谷は2020年東京五輪での「一族で11大会出場」の偉業にも意欲を見せている。(取材・構成=高橋悟史)

衝撃の欧米レベル 2年間ドイツ留学
96年アトランタ五輪64位
96年アトランタ五輪64位 子杉谷泰造20歳、愛馬カントリーマン
杉谷泰造20歳愛馬カントリーマン

 泰造の父昌保は大阪市出身で、当初は自動車レーサーを目指していたが、軍隊で乗馬経験があり、軍馬の調教もしていた父留吉に「車は危ないから」と乗馬を勧められた。62年ごろから独学で馬に乗り始めた。車のガレージが馬の厩舎になった。

 2年後の64年東京五輪で軍隊馬術が主流だった日本の馬術界は、初めて目の当たりにする欧米の超一流の馬術にショックを受けた。実家のテレビで見ていた昌保にも衝撃だった。

  • 昌保 自分たちが必死で跳んでいる障害を、欧州の馬は軽々と跳び越えていた。腰を抜かしました。あまりに競技レベルがかけ離れていたので、当時の馬術連盟の竹田恒徳会長から、68年メキシコ五輪へ向けて2年間ドイツに留学しろと言われました。そして連盟の人からドイツにいた川口宏一先生を紹介されました。
00年シドニー五輪25位
00年シドニー五輪25位 子杉谷泰造24歳、愛馬マニアジョリー
杉谷泰造24歳愛馬マニアジョリー
04年アテネ五輪16位
04年アテネ五輪16位 子杉谷泰造28歳、愛馬ラマルーシ
杉谷泰造28歳愛馬ラマルーシ

 横浜から船でソ連(当時)のハバロフスクへ向かい、シベリア鉄道でモスクワへ。そこからプロペラ機で東ベルリンへ飛び、さらにバスと電車を乗り継いで西ベルリンに到着した。全行程で4泊5日。昌保にとって初の海外だった。

  • 昌保 川口先生は衣食住すべて面倒見てくれてね。でも先生が出場したメルボルン五輪の話は、ほとんど聞いたことがない。とにかく言われたのが基礎訓練の重要さ。それが出来れば馬術の世界を背負っていけるからって。

 宏一の指導を受けて昌保はメキシコ五輪出場を果たす。その後も日本の第一人者としてミュンヘン、モントリオールと計3大会に出場したが、メダルには手が届かなかった。

  • 昌保 メキシコとミュンヘンの馬術会場は閉会式直前のメーン会場でした。芝が傷むので最終日の最後の競技。会場は大観衆で馬がすくむ。出番を待つ時には「ウワー」という大歓声で私も手足が震えた。川口先生からの指示は「五輪は普通の国際大会じゃない。入り口から思い切って走れ」。緊張で慎重になるからとにかく走れと。どうせあかんってのも分かっていたんでしょうね。
トップクラス経験「もっと上行ける」
08年北京五輪29位
08年北京五輪29位 子杉谷泰造32歳、愛馬カリフォルニア
杉谷泰造32歳愛馬カリフォルニア
12年ロンドン五輪33位
12年ロンドン五輪33位 子杉谷泰造36歳、愛馬アヴェンツィオ
杉谷泰造36歳愛馬アヴェンツィオ

     ミュンヘン五輪後、昌保は宏一の長女幾里(いくり)と結婚。76年に泰造が誕生した。

     3代目の泰造は昌保の3大会を大きく上回る五輪6大会出場を決めた。しかし、まだ満足はしていない。地元開催となる20年東京大会の出場も視野に入れている。64年東京五輪は残念ながら一族で誰も出場していない。

    • 泰造 東京で五輪が決まった時はモチベーションも上がりました。リオでステップアップして東京ではメダルを目指したい。

     15年から欧州を中心に転戦する「グローバルツアー」にも本格参戦した。

    • 泰造 (昨年は)全15戦のうち6戦に出場しました。現地は大観衆ですし、出場するのは選手、馬ともにいい経験になる。トップクラスの大会での経験が、リオや東京に必ずつながる。

     現在、泰造はアートコーポレーション(アート引越センター)からバックアップを受けている。馬術は日本ではマイナーだが欧米ではメジャースポーツ。大企業がこぞって大会スポンサーに名乗りを上げる。

    • 泰造 ウィーンでは市役所前の広場が会場。ロンドンでは会場のすぐ横が首相官邸で、パリではエッフェル塔の下に仮設会場が造られた。だから日本でも大阪城公園とか皇居の前でやれたらね。1回見てほしい。面白さは100%自信があります。東京五輪を見据えて馬を10頭ほど育てています。もっと上に行けると思っています。

     リオから東京へ。世代を超えた杉谷一族の挑戦は続く。(本文中敬称略)

    母幾里さんは83年国体優勝

     泰造の母幾里(いくり)さんも馬術の元国体選手だった。83年京都国体の成年馬場部門で優勝している。名前は18世紀後半に英国で活躍したサラブレッド・エクリプスから由来したもの。現在のサラブレッドの血統をさかのぼると行き着く1頭といわれている。昌保氏によると、幾子と名付ける予定だったが、エクリプスにより近い幾里と名付けられたという。

    4代目有力候補泰駕くん誕生

     昨年、杉谷家に4代目の有力候補が誕生した。泰造の長男の泰駕(たいが)くん。名前はリッシェル夫人がオーストラリア出身で、外国人にも発音しやすいという理由もあり、命名したという。

※競技写真はすべて杉谷昌保氏提供

杉谷一族 プロフィル
川口宏一(かわぐち・こういち)
◆川口宏一(かわぐち・こういち)1913年(大2)3月12日、三重県生まれ。旧制京都帝大入学後、馬術部へ入部。56年メルボルン五輪に出場。04年91歳で死去。
杉谷昌保(すぎたに・まさやす)
◆杉谷昌保(すぎたに・まさやす)1943年(昭18)5月18日、大阪府生まれ。高校在学中の17歳ごろ自宅で馬術を開始。23歳でドイツへ馬術留学。68年メキシコ五輪に25歳で初出場して以来、3大会出場。84年ロサンゼルス五輪はコーチとして帯同。
杉谷泰造(すぎたに・たいぞう)
◆杉谷泰造(すぎたに・たいぞう)1976年(昭51)6月27日、大阪府生まれ。神戸のアメリカンスクールを卒業後、17歳でオランダのヘンクノーレン厩舎に拠点を移す。20歳でアトランタ五輪に初出場。五輪での個人最高成績はラマルーシとのコンビで臨んだ04年アテネ五輪の16位。
杉谷一族特集:前編を読む
日本馬術連盟公式サイト

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