女子70キロ級金メダルの田知本遥(26=ALSOK)は目をうるませながら言った。「本当に苦しかったです。柔道を辞めたいと思ったし。でも、今日のために(苦しい時期は)あったんだなって思います」。東海大4年で初出場したロンドン五輪は7位。翌13年の世界選手権では初戦敗退するなど、もがき苦しんできた。再び歩み出す力を得たのは2年前の夏だった。

 あの屈辱を味わった地が再び歩み出す力を与えてくれた。12年、初出場だったロンドン五輪。「力が出し切れなかったとは思わなかったですけど、なんか中身があんまり、準備というのがなかったかなと思います。頭で考えて相手に対して、というのが無かった」。準々決勝での左肘負傷の影響もあり、敗者復活戦でも敗れて7位に終わった。

 苦い思い出がある、その英国の地を再び踏んだのは、2年後のことだった。

 「変わらなきゃいけないけど、頑張り方が分からなくてずっともがいていて、そんな時期に海外に行ったんです」。

 指導者からの薦めで、14年夏に1カ月にわたり英国に滞在した。基本は柔道クラブを回り、国の強化施設に2週間、残りは1人部屋を借りて生活した。「新鮮でした。見るものがすべて新鮮で。リフレッシュしたというか、いろんな方向から柔道を見れて」。

 道場で見たのは多くの笑顔。仕事をやりながら打ち込んでいたり、好きだからこそ毎日稽古に励む人々の姿があった。「みなさん本当に柔道を好きでやっている。生き生きしてやっているのを見て、初心を思い出しました」。

 帰国後、1つの感情が芽生えた。「感謝の気持ちが強くなりました。環境にも、こうやって頑張ってくれる体にも、姉(78キロ超級の愛)や家族の存在も、当たり前じゃないんだなということを身をもって経験したので」。進むべき方向を見失っていた心は、敗北に打ちひしがれた土地が、再生の場所となって導いてくれた。「そういう気持ちの転換が柔道に非常によかったんだな、と思います」。

 2度目の夢舞台を終え、田知本は笑みを浮かべた。「苦しかったですけど一戦一戦。いやこの日までも苦しかったですけど。やっと終わったなという。それが最高の気持ちで終われて幸せです」。好きな柔道で最大の恩返しとなる金メダル。78キロ超級の代表が有力視されながら選ばれなかった姉愛の首に金メダルをかけ、泣き笑いの顔で記念写真におさまった。【阿部健吾】