シンクロナイズドスイミングのデュエット決勝が行われ、日本の乾友紀子(25=井村シンクロク)三井梨紗子(22=東京シンクロク)組は188点0547点で、08年北京五輪以来、2大会ぶりに銅メダルを獲得した。前日15日、決勝に持ち越すテクニカルルーティン(TR)ではライバルのウクライナに0・0144点差の4位だったが、逆転した。

 ライバルのウクライナの得点が下回ったことが確定すると、乾と三井は井村雅代ヘッドコーチ(HC)と抱き合った。普段は鬼のように厳しい井村HCから「よくやったね。おめでとう」と祝福された。16日は井村HCの66歳の誕生日。2人は五輪日程の決まった昨年からメダルをプレゼントにすることを誓い合っていた。日本と中国で計15個目の五輪メダルを獲得した井村HCも「決勝が誕生日は初めて」とメダルのプレゼントは生涯初。「忘れられない誕生日になった」と鬼コーチの目にも光るものがあった。

 就任から約2年半。ここまでの道程は険しかった。

 乾は12歳から井村シンクロクで井村HCの指導を受けた。「小学5年で会ったとき、日本一になると思った。足がいい。良いものを持っていた」と井村HC。ただ、09年に乾が18歳で日本代表入りしたとき、井村HCは中国代表を指導するなど日本代表から外されていた。指導を受けたいという乾の希望は、すぐにはかなわなかった。

 初出場した12年ロンドン大会。日本はチーム、デュエットともに初めてメダルを失う。「メダルを取りたい」と口では言っていた乾も、世界と勝負ができず、目標を失い欠けていた。五輪期間中、デュエットの演技後に選手村に移動するシャトルバスの中で、中国代表を指導していた井村HCと偶然再会した。「何をこわごわ泳いでいるのか。試合はある意味ケンカや」と気合を入れられた。その言葉が深く胸に残った。

 ロンドン大会のメダルゼロに危機感を抱いた日本水連は14年2月、10年ぶりに井村HCの代表復帰を決めた。乾にとっては念願がかなった。だが、そこから地獄が待っていた。

 スパルタ式の井村HCは容赦なかった。「乾がエースではチームがだめになる」と言われるなど集中砲火を浴びた。重圧に耐えられず、トイレの個室にこもったこともある。「パニックだったが、取ったことのないメダルを取りたい」。何とかギリギリのところで耐えてきた。

 乾とペアを組む三井は、小学生時代から運動神経が抜群で天才と呼ばれた。しかし、シンクロ選手としては致命傷ともいえるO脚という欠点があった。なかばあきらめていたとき、井村HCから「O脚は治せる」と言われた。徹底した筋トレで、今では両足がピタリとつくようになった。厳しいしごきに心が折れそうになった時期を乗り越え、「もう慣れたもの。涙は出るが(井村)先生から言われたからではない。自分に対して悔しいから出る」とタフな精神力を身に着けた。

 昨年の世界選手権でメダルを獲得したこともあり、今年に入ると2人は、井村HCと一方通行ではない話が出来るようになったという。1日12時間を超える練習が続き、オフの日も自主練習と事実上の休みは正月ぐらい。「限界は限界を超えないと上がらない。普通の状態を上げることの大切さを学んだ」(三井)。付きっきりで鍛えてくれた井村HCに感謝していた。

 大会前、井村HCはこんな褒め言葉を口にしていた。「5月くらいまでは、人材がいないから2人で(デュエットを)やっているのかと思ったが、今は日本代表と言ってもいいところまで成長してきた」。

 三井は「今まで毎日が地獄のような日々を過ごしてきた。その日々が報われた。結果になったことがうれしい」とホッとしたような笑みを浮かべた。日本シンクロの復活を証明するメダル獲得。18日から始まるチームでもメダルを獲得し、チームメートとも喜びを共有し、日本の完全復活を果たしたい。乾は「今すごく良い流れがある。チームでもたくさん練習してきた。勢いをさらに加速させたい」と力強く2個目のメダル獲得を誓った。【田口潤】