銅メダルを獲得した日本の石川佳純(23=全農)は誰もが認める誠実さと、マイペースな性格を持ち合わせてエースにのし上がった。

 村上監督が「おっとり長女(福原)、マイペース次女(石川)、しっかり型の末っ子(伊藤)」と表現する姿は、大阪・四天王寺羽曳丘中時代から健在だった。

 「先生、宿題を中国に忘れてきました…」

 中学3年時の担任で数学を担当した中野博志さん(43=現四天王寺羽曳丘高教諭)は、中学3年時の石川が発した言葉が忘れられない。当時ミキハウスJSCに所属していた石川は、卓球漬けの毎日を送りながらも1度も遅刻することなく通学。だがある時、出すべき課題の提出ができていなかった。「やってきてないんか?」と問いかける中野さんに返ってきたのは「中国に忘れてきました」という拍子抜けな答え。中野さんは「この子にしかできない言い訳だな、と。『ほな、もうええわ。どんな言い訳すんねん!』となりましたよね」と笑って振り返る。

 だが、1~2カ月後に驚きの展開が待っていた。石川から手渡されたのは例の課題。本当に中国に忘れていたのだ。当時から中国遠征がよく組まれていた石川は、再度の訪中時に忘れていた課題をゲット。それを帰国後に提出され、中野さんはたまげた。「むしろ『ちゃんと課題を中国まで持っていって偉いな』と思いました。やっぱりうそはつかないんです、彼女。この一件も含めて、本当に天真らんまんでしたよ」。自然体のキャラクターは周囲から愛され、石川の長所だった。

 休み時間には、石川の元に友人が集まった。他の強化クラブに所属する生徒は時間を有効活用。一方で石川は「昼休みに寝ていたり、友達とワーワー走り回ったり、『課題大丈夫?』といった感じでした。時間に支配されるようなことはなく、いつも自然なんですよね」(中野さん)という状況だった。中学1年時は猛練習に慣れず、寮では洗濯機の前で寝ていたこともあったという。7歳から始めた卓球の成長は、着飾らず、ありのままの性格が支えていたのかもしれない。【松本航】