ホストタウンの大阪府泉佐野市のホテルを抜け出して失跡し、帰国後に母国で拘束されたウガンダ選手団の男子重量挙げのジュリアス・セチトレコ(20)が1日までに日刊スポーツの取材に応じ、一連の騒動の真相を語った。東京オリンピック(五輪)に出れば母国の母や第1子をおなかに宿す妻を養えると思っていただけに、出場権を失ったショックは計り知れず、日本で出稼ぎをしようと宿舎を飛び出したと明かした。7月28日に釈放されたが、4日にも再収監され、取り調べが続く見通しだ。【取材・構成=平山連】

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ホテルから抜け出そうと決断した時の状況を尋ねると、セチトレコの目から涙が伝った。「五輪に出られないと聞いたときは死にたくなるほどつらくて。涙が止まらなかった」。ウガンダ選手団9人のうちの1人として6月中旬に来日。大阪府泉佐野市に滞在中、世界ランキングが下がり、東京五輪の出場資格を失い、帰国が決まった。しかし、7月16日、「生活が厳しい国には戻らない。日本で仕事をしたい」と置き手紙を残し、ホテルを後にした。向かった先は、200キロ以上離れた名古屋だった。

-なぜ名古屋に向かった

セチトレコ ウガンダでも知れ渡っている街は東京と名古屋。大都市と聞いていて、きっとお金持ちがたくさん住んでいるから仕事も見つかると思った。

-合宿先の大阪や、札幌も有名だが

セチトレコ 知らない。聞いたことがなかった。

-逃亡中はつらかった

セチトレコ 名古屋に向かったけど、頼る人もいなくて、お金が足りなかった。外で寝たこともあった。

-逃亡後は、名古屋で知人のウガンダ人男性と合流し、男性の車で岐阜に移動し、さらに三重県四日市市の別の男性宅へ移動後、保護されたとされている

セチトレコ 偶然知り合った男性が車に乗せてくれて、家に案内してもらった。シャワーを浴びさせてくれたりご飯を食べさせてくれた後、日本の警察に行くよう言われた。

-保護された時の状況は

セチトレコ 誰かに早く見つけてほしいと思うほど疲れていたので、発見された時にはホッとした。

故郷のウガンダはアフリカの中でも最貧国の1つ。1人あたりの国民総所得(GNI、2019年)は年780米ドル(約8万5000円)で、日本(4万1513米ドル)と比べおよそ53分の1。1986年以来長期独裁政権を担うムセベニ大統領による経済政策で成長を遂げつつある一方、失業率は依然高い。

-働くためにチームを離れた。経済的な事情からか

セチトレコ バナナやパイナップルを収穫する仕事をしながらトレーニングをしていたこともあるが、朝8時から10時間ずっと働いても生活の足しにもならない。五輪に出れば報酬を得られる。メダルを獲得すればさらにお金を得られて、新しい人生が待っている。家族を楽にできると思っていたのに…。

-国からの援助は

セチトレコ 国際大会に出る時に援助はあっても、普段はない。サプリメントから食事まで全て自分で賄う。借金もした。

-援助してくれる人は?

セチトレコ 母は応援してくれて、練習終わりに、いつもご飯を作ってくれて待っていた。2年前から同居する妻のおなかに子どもがいる。コーチもいない。家族のために、自分で考えて練習していた。

-7月21日深夜、成田空港から帰国の途に。再来日して日本で働きたいと思っていたが、ウガンダの空港に着くと警察に拘束され、逮捕された。

セチトレコ なぜ逮捕されたかも尋ねることができず、5日間ジェイル(留置場)に入った。弁護士の助けで今は出ているけど、警察はまだ捜査中です。4日に再び収監され、また調べが続く予定です。

-再来日したいか

セチトレコ ウガンダよりとても高い給料が得られる。チャンスがあればもう1度日本に行きたい。

-今回の一件があり、ウガンダで今後も競技を続けていくのは大変そうだ。

セチトレコ オリンピックはずっと夢。お金を得られるだけではなく、とても名誉あること。パリ(24年)やロサンゼルス(28年)出場もあきらめていない。どこの国からでも構わない。今回も世界中からSNSで多くの励ましの言葉をもらい、感謝している。競技を続ける上で、きっと誰かがサポートしてくれる。

 

◆ジュリアス・セチトレコ 2000年8月7日生まれ。もともとはラグビーをしていたが、進学先の学校に活動の場がなく断念。代わりに外で黙々と体を鍛える人たちの姿に憧れ、ジムに通い始めるうちに重量挙げと出合った。2018年にオーストラリアで開催されたコモンウェルス・ゲームズに出場し重量挙げ男子56キロ級で10位、今年5月のアフリカ重量挙げ選手権で男子67キロ級で銅メダルを獲得するなど国際大会でも好成績を残している。