どうしてもふに落ちない。政治家(もちろん与党だが)の東京オリンピック(五輪)パラリンピック開催への執着だ。管総理の「コロナに勝った証としての開催」を筆頭に、東京五輪パラリンピックだけは、何の根拠もなく開催へ突き進む。政治家に一体、何の“得”があるのだろうか。

スポーツ界から、理屈抜きで「どうしても開催したい」という声が噴出するのなら、道理にかなう。サッカー、テニス、ゴルフなど、プロ全盛の競技以外は、五輪パラリンピックが最大の舞台だ。自国開催なら、なおさら開催への思いが強くなるのは自然だろう。

しかし、日本のスポーツ界は、開催の可否についてほぼ沈黙。政治家の遠ぼえしか聞こえてこない逆転現象だ。新型コロナの感染拡大、ワクチン接種の遅延、中止か再延期を望む70%近い国内世論。政治家にとって、風を読めば、中止や再延期をにおわせた方が、受けがいいに決まっている。

それが、何が何でも開催だ。政治家は、そこに利害関係がないと動かない。東京五輪パラリンピックは、裏で、われわれが気がつかない実質的なうまみがあるのだろう。そうでなければ、政治家が東京五輪パラリンピック開催に固執する理由に合点がいかない。

この国のスポーツ行政は、あまりにもお粗末だった。64年東京五輪のために新築したり、改修して使用した会場は、20年東京五輪が決まるまで、細かな改修はあっても、ほぼほっぽり出し状態。完全に立て直したのは東京体育館ぐらいだ。

11年スポーツ基本法が制定され、15年に文科省の外局として、ようやくスポーツ庁が発足した。パラスポーツ(障害者スポーツ)は、リハビリの一環として厚労省管轄だったのが、14年に文科省管轄となり、やっと一般スポーツ競技と同じ扱いとなった。これも、すべて、20年東京五輪パラリンピック開催が決まって以降のことだ。

つまり、政治家は、平時において、特にスポーツに興味はない。スポーツ界から得られるうまみはないため、決して力など入れてこなかったのだ。それが東京五輪パラリンピックでは、「何が何でも開催」と突き進む。それほど関心がおありなら、東京五輪パラリンピックが終わっても、日本のスポーツ界に力を注いでいただけるのだろう。期待したい。【吉松忠弘】