<東京オリンピック(五輪):テコンドー>◇24日◇男子58キロ級◇1回戦◇千葉・幕張メッセ

決戦の前夜。鈴木セルヒオ(26=東京書籍)のもとに家族から電話があった。「やるだけやってきて。見届けるから」。その言葉は力にした。ただ、五輪は「すごく特別な感じ」。世界の壁は厚かった。1回戦でエチオピアのソロモン・デムセに2-22。20点差が付き、最終3ラウンドを前にして敗れた。「まだ全然、整理できていない」。涙があふれた。

家族物語は波瀾(はらん)万丈だ。約30年前、バイクで南米大陸を旅していた父健二さん(55)は転倒し、ボリビアの病院に入院。その異国の地の日本食レストランで働き、そこで一緒に働いていたノルマさん(53)と結婚した。父はオートバイを売り、屋台の焼きそば屋を開店した。ただ、治安がいいとはいえない国。ピストルを持った強盗に襲われた。命は救われたが、売上金を失った。そのショックもあって、日本に帰国。ボリビアで身ごもっていたノルマさんは川崎市内で、セルヒオを出産した。健二さんが佐川急便の運転手などで金をため、家族は再びボリビアの地へ渡った。そんな父を見て育った子には行動力が受け継がれ、強くなった。

ブルース・リーに憧れていたセルヒオは、6歳からボリビアでテコンドーに熱中していた。10歳で「五輪に出る」と両親に宣言。中学生の頃には同国代表選手に勝つなど頭角を現した。さらなる高みを目指し、高校はテコンドーの本場・韓国に進学。福岡県田川市の広報誌で、日本人選手が韓国の高校にテコンドー留学しているのを知ると、ペンを握った。田川市役所へ手紙をしたためた。その日本人選手の家族を紹介してもらい、韓国の高校へ進学できるよう便宜を図ってもらった。

進学したハンソン高は韓国の中でも強豪。ボリビアとは文化も違い、練習、そして上下関係も厳しい。怒られてばかりだった。3カ月後には「帰りたい」と漏らした。家族からは「今年はいっぱい頑張って、それでダメだったら帰ってきなさい」と伝えられた。それでも自分で1度、決めた事。貫きたかった。耐えた。故障もあって韓国では目立った結果は残せなかったが、技術的にも精神的も成長した。

卒業後は大東大に進み、社会人となった今は、東京五輪の男子68キロ代表で弟リカルド(大東大)と2人暮らし。コロナ禍で道場が使えなかった時は、2人でスパーリングやウエートなどをして鍛錬をしてきた。試合後はマクドナルドで“お疲れさま会”をやるなど仲良しだ。ずっと「2人で金メダル」を目標にしてきたが、それはかなわなかった。

ただ、まだ弟がいる。25日に決戦の舞台に立つ。鈴木家の東京五輪は終わっていない。【上田悠太】