 |
| 写真:4年ぶり4度目の夏の甲子園出場を決め、マウンドに集まる喜ぶ岡山理大付ナイン |
|
| |
| ◆Vへの足跡◆ |
| 2回戦 |
6−5 |
玉島商 |
| 3回戦 |
12−3 |
岡山一宮 |
| 準々決勝 |
12−0 |
倉敷 |
| 準決勝 |
7−2 |
岡山城東 |
| 決勝 |
2−1 |
関西 |
|
直球しかない。岡山理大付エース堀は心に決めていた。9回2死フルカウント。こん身で投げた球はグンと伸び、三振を奪った。無四球1失点での完投勝利。最速141 キロ の快速右腕はマウンドで両手を天に突き上げ、喜びを爆発させた。堀は「得意の直球で勝負したかった」。早川監督は「いままでで一番いいピッチング。本当によく投げてくれた」と称えた。
「秋はチームに迷惑をかけたから、なんとしても勝利に貢献したかった」。堀は昨秋季県大会直前、過度の練習で肩を痛め、メンバーから外された。当時のエース友田一海(かずみ、3年)も、後を追うように故障。2人のエースを失ったチームは初戦敗退を喫し、センバツ出場はならなかった。堀は夏こそエースになるため走り込んだ。選手たちが帰省するときも、ひとり地元の京都に戻らずひたすら走っていた。春にはユニホームのズボンのサイズがOからXOに変わるくらい下半身が大きくなった。制球も安定し、不動のエーズの座を手に入れた。
堀はロッテ黒木に強い憧れを持っている。男山第二中時代から、黒木のポスターや本を集めるようになった。当時から「将来、黒木のように140 キロ を投げる」と宣言。少しでも近づきたかった。その一心で中学時代から午後12時まで練習をし、毎日8 キロ を走るのを欠かさなかった。努力が報われ、自身最速の141 キロ を今大会で記録した。黒木から学んだ一球に魂を込める投法も生かし、気持ちで関西打線を抑えた。
岡山理大付は99年夏に甲子園で準優勝。岡山県勢が未だ達成していない夏制覇に期待がふくらむ。当時中学生だった堀は岡山理大付の活躍をテレビで見て「ここに入ろう」と決心した。「全国制覇し、自分たちで歴史を作りたい」。堀の夢―。今度は自分たちが夢を与える番になった。【田中耕介】
◆岡山理大付 1962年(昭37)に岡山電機工業高校とし創立。野球部は学校創立と同時に創部。生徒数は1828人(女子は225人)。甲子園には春4回、夏3回出場。野球部員は55人。所在地は岡山市理大町1の1。北尾正幸校長。
|