母と同じ舞台で戦いたい-。そのいちずな思いでレーサーになった。女子ボートレーサーを紹介する「ビューティフル・ボートレース」、今回は大山千広(19=福岡)を紹介する。母の大山博美(49=福岡)も現役で、公営競技史上でも例のない母娘レーサーだ。今年5月にデビュー、8月17日には福岡ボートで母娘直接対決も経験した。

大山千広(左)と博美の母娘ツーショット
大山千広(左)と博美の母娘ツーショット

 -母に憧れてレーサーを目指した

 大山千広 幼い頃は、一番そばにいてほしいときに母がレースに行ってしまうのが嫌で嫌でしょうがなかったんですよ。母がレースに行ってる時はいつもおばあちゃんと一緒でした。

 -それがなぜ、自分もレーサーになろうと

 大山 テレビで走っている母親のレースは格好いいなと思っていたんです。小学校4年生の時に男子相手に勝った母を見て、私もなりたいと思いました。

 -母は賛成してくれた

 大山 最初は本気だとは思ってなかったみたいです。でも私は中学、高校とレーサーになるための体力強化のために陸上部に入っていたし、完全に決めていました。進路相談で初めて同じレーサーになりたいことを母に打ち明けた時、反対はされなかったです。

 -試験は一発合格

 大山 20歳までには合格したいと思ってたんですが、まさか一発で合格するとは思ってなかったです。

生まれたばかりの大山千広を抱く母・博美
生まれたばかりの大山千広を抱く母・博美

 -1年間のやまと学校(ボートレーサー養成所)時代は苦労した

 大山 集団生活は嫌ではなかったんですが、操縦技術が付いていけなくて…。2カ月たって、母に「自分には向いてないみたい。辞める」と電話しました。

 -母の反応は

 大山 びっくりしていました。あれだけ強い決意でレーサーになりたいって言ってたのに、自分から辞めると言い出すとは思ってなかったみたいです。もう少し頑張れ、と説得されました。自分も母に打ち明けたら冷静になって…。しばらくして手紙が来ました。

 -手紙には何と

 大山 『同じレースで同じ目標で、親子で同じ夢を目指そう』って。母も同じことを考えていたなんて、今度は私がびっくりしました。手紙をもらってからは完全に吹っ切れました。

大分県城島の遊園地で母・大山博美に甘える5歳の千広
大分県城島の遊園地で母・大山博美に甘える5歳の千広

 -5月にデビューした

 大山 緊張はするけど、レースは本当に楽しくて仕方がないです。もちろん、まだ自分が思っているようなレースはできないけど、レースでも練習でも、乗るたびに新しい発見や進歩があって。自分が1歩、1歩成長しているのが分かるのが楽しいんです。

 -8月には福岡で親子対決が実現した

 大山 私は6着だったけど、母は2着。やっぱり格好よかった。母がレース後に『いつか私の前を娘が走ってほしい』って記者さんに話していたことを伝え聞いて、うれしかったです。今度走る機会があったら、ちゃんとレースに参加して母といい勝負をしたいと心から思いました。

 -ボートレースの魅力は

 大山 やっぱり女子が、男子相手にいっしょに戦えるところですね。私も早く強くなってG1やSGとかの大きな舞台で男子相手に互角に戦ってみたい。その門戸が開かれているところが、ボートレースの魅力だと思っています。

(次回は11月10日更新予定)


 ◆大山千広(おおやま・ちひろ)1996年(平8)2月5日、福岡県福岡市生まれ。116期として今年5月の福岡ボートでデビュー。やまと学校時代は在校2位の勝率を挙げ、卒業記念競走でも優出(6着)。デビュー節で2着に入るなど非凡なセンスを見せている。160センチ、48キロ。血液型O型。