真夏の日南(宮崎県)の海で出会った今回のヒロインは、中学時代にテコンドーの全日本ジュニア選手権大会で準優勝を収めて全日本強化合宿メンバーに選ばれ、高校の時には西日本選手権大会で優勝したほどの実力の持ち主。そんな彼女が、どうしてボートレーサーを目指したのか…早速お話をうかがってきました。

戸敷晃美選手(21=福岡支部)。宮崎県宮崎市に3姉妹の末っ子として生まれた彼女は、自身でも「ほぼ男の子でした(笑い)」というくらい活発で、学校から帰ったらすぐにランドセルを置いて外に出て、ドッジボールをしたり走り回ったり。転んでコンクリートで顔をすりむいても“泣いたら負け”と思っていたというほど、とーっても強い女の子でした。

中学生の頃、テコンドーの試合会場でポーズを取る戸敷晃美選手
中学生の頃、テコンドーの試合会場でポーズを取る戸敷晃美選手

小学校1年生から始めたテコンドーでも「試合は男女別なんですけど、試合本番で女子に勝ってうれしいって思うよりも、練習で男子に負ける方が悔しくて」という負けん気の強さ。でも、その気持ちがボートとの距離を縮めます。

小学校高学年の頃、テコンドーの遠征試合の帰りに初めて生のボートレースを見て、その迫力と、男女関係なく戦っている姿に大きな魅力を感じたという晃美さん。中学3年の時にはすでにやまと学校を受験しようと思っていたそうですが、ご両親の勧めもあって高校に進学したのち、3年生の進路を決める時にはっきりと決断したとのことでした。

すでにテコンドーでの優秀な成績によって、熊本大学の推薦枠の条件もクリアしていたことから、担任の先生に伝えた時にはかなりびっくりされたそうですが「分かった。じゃあいろいろ調べてみるわ」と協力してくれ、ご両親も「そこまで本人がやりたいんだったら後悔しないように」と背中を押してくれたそうです。

こうして芦屋からのスポーツ推薦を受け、2次試験も無事に合格となって、やまと学校での1年間もテコンドーで鍛え上げられた精神力と持ち前のポジティブさで乗り越えました。

仲良く写真に収まる戸敷晃美選手(中央)とお父様の直孝さん(左)と、お母様の弓子さん
仲良く写真に収まる戸敷晃美選手(中央)とお父様の直孝さん(左)と、お母様の弓子さん

ただ、福岡でのデビュー戦は、「あたふたしてました。思ったほど緊張はしなかったんですけど、スタート行っても勝てるわけでもないし、冷静に対応できない自分がいて…」とプロの厳しさを感じたそうで、初1着もそこから積み重ねること238走目で手にします。

「スタートちょっと私が出てて、2、3(コース)がへこんでたんです。いつもの私だったら外まくるはずなんですけど、なんか冷静にまくり差しにいけて、1マークでささって、私が内側で出てたんでターンマーク外さないようにと思って回りました。道中も後ろが競ってるなぁとか見る余裕もあったんで意外と冷静だったと思います」と、2年3カ月をかけてつかんだ初勝利のまくり差す感じを今でも覚えていると話す戸敷選手。そしてそれは、家族にとっても大きな喜びでした。

8月3日に福岡でデビュー初勝利。水神祭で祝福を受けて、笑顔で声援に応える戸敷晃美選手
8月3日に福岡でデビュー初勝利。水神祭で祝福を受けて、笑顔で声援に応える戸敷晃美選手

「最終日に携帯見たら、家族からのメールがめっちゃたまってました。帰りに電話しながら帰ったんですけど、電車の待ち時間に親に電話してお互いに泣いてるのが分かったし、私はホームで1人でポロポロ涙流してたから、周りの知らない人はびっくりしたんじゃないですかね。でも、その前にケガもしてたんで親にはずいぶん心配かけてたと思うんです」と話し始めたのは、練習中の事故のことでした。

「鼻を骨折して、目尻も切れてたんで1歩間違えたら危なかったんですよねぇ。手術したんで1カ月だけ休んだんですけど、手術よりも、その後ボートに乗る時に怖かったらどうしようという心配の方が強くて…でもそういう恐怖心とかなくて乗れたんで、そこは良かったと思います」と普通に、淡々と話してくれる戸敷選手に思わず「強いですよね!?」と言うと、「はい。強い方だと思います」と今度はにっこりと笑顔を見せてくれました。

でも、その時のことをお母さまの弓子さんに尋ねると「やっぱり反対しとけばよかったかなと思いました。やまと学校の参観の時に『よく許しましたねぇ』って先生に言われたのはコレだったんだと思って」とのこと。だからこそ、初勝利の時にはすごくうれしくて、最終日にしか携帯を開けないのは分かっていても、初1着を取ったその日にメッセージを送ったと話して下さいました。“その瞬間には見られなくても思いを伝えたい”そんな母の愛情をしっかり感じてのお互いの涙に、私も胸が熱くなる思いでした。

その約2カ月後には初の準優勝戦進出も遂げた戸敷選手に、その進化の秘訣(ひけつ)を聞くと「多分、ちょっとだけ自信が持てるようになったんだと思います。デビューからフライングが多くて(実戦の)経験が少ないっていうのもあったと思うんですけど、そのフライング休みの間に練習に行って、早くレースがしたいと思いながら好きの段階が上がっていって…1着が取れたんでさらに前よりもボートが好きになって、今まで以上に楽しいと思えるようになりました」との答えが返ってきました。

次の目標はもちろん“初優勝”。「優勝したらもうちょっと気持ちに余裕ができるかなぁって思うし、A級に上がって上の舞台で戦えるようになりたい。初優勝は、第2の故郷でもある芦屋でやりたいですね」と夏の太陽のような強くて明るい表情で話してくれました。

 
 

もともと、一番上のお姉さんが目指していた大きな夢をかなえた戸敷選手。これまでのボートレーサーとしての道のりは平穏なものではありませんでしたが、悔しさをバネにして“どんげかせんといかん”と進み続けた人の強さは、しっかりとした美しさも感じさせてくれるものでした。

※宮崎市では“どげんかせんといかん”ではなく“どんげかせんといかん”といいます。