今回ご紹介するのは、デビュー10年目を迎える田中京介選手(28=福岡)。実は、前回の中田達也選手(25=福岡)のコラムの時に初めてお話をさせていただいた田中靖人先生(現九州産業大学教授)が、福岡県立須恵高等学校の校長先生をされていた時の教え子でもあるということで、早速おふたりの元へ行ってきましたよ。

田中選手がボートレーサーを目指したのは、高校2年生の頃から。合格通知を受け取ったのは3回目の試験で、高校3年生の春だったといいます。ですが、そのまま入学となるとその秋には高校をやめて、やまと学校(現ボートレーサー養成所)へ入学しなければならないということで、担任の先生もずいぶん心配してくださり、校長室での面談となりました。

恩師の田中靖人先生(左)とがっちり握手する田中京介選手
恩師の田中靖人先生(左)とがっちり握手する田中京介選手

「急に呼ばれたんでやっぱちょっと構えるじゃないですか? しかも校長室でしたし。そしたら…今でも忘れられないんですけど『自分の教え子にボート選手になった人がいる』って、校長先生の机の引き出しをガラッと開けたら(雑誌の)BOAT Boyがいっぱい出てきたんですよ。全部植木(通彦)さん(現ボートレースアンバサダー)が表紙のやつで、『知ってるか?』って言われて…」と予想もしていなかった話の展開に本当に驚いたという田中選手。「実は僕、植木さんの引退の時の握手会とか行きました!」というほど憧れの選手だったという事実に、今度は田中先生が「えっ? そうなの? それは知らんかったなぁ」と、お互いに当時を懐かしそうに思い返して笑っていらっしゃいました。

その時の田中先生の思いを尋ねると「担任の先生から話を聞いたときは、『本気なんか?』と聞きました。やっぱり普通以上に厳しい世界だし、万が一のことがあるわけでしょ?! だから、本当に本気かどうか本人の目を見て知りたかったんで、校長室に呼んだんです。実は私は、中田君の時もそうだったんですけど、決して私の方から勧めることはないんですよ。まずは本人がしっかりとした意志を持っていて、ご両親も強い意志を持ってること。そして、その本人の生きた目を確認できた時に“この人は多分、プロのスポーツ選手としてちゃんと大成してくれるだろう”という願いを込めて、自分のできることをやってきたというだけのことなんですよ」という言葉に、田中選手は「その背中を押してくださったことが、すごく大きかったです」と丁寧に感謝の気持ちを伝えていらっしゃいました。

プロ10年目にして優出14回。先生からの「ひょっとしたらあなたは周りから、その14回の優出は遠回りしてると思われてるかもしれない。だけどその遠回りの中で、すんなり行った人では決して見ることができない景色が見れてるわけだから、てっぺんに立った時の感動が全然違うと思うよ。それだけ優出してるってことは、もう突き抜ける1歩手前まできてるんだから、ぜひ“ここだ!”と思う感動を味わってほしいな」という言葉に、短く「はい」と答えた田中選手の表情は、何かを決意したようにも見えました。

優勝に向けての課題を、「甘さの修正ですね」と即答した田中選手。「体重とかもそうですけど、この“甘さ”っていうのは絶対的にあるなって感じてます。もちろん1走1走気持ちは入れて走ってるんで、その前の部分の取り組み方なんですけど、準備段階としてまだまだ自分に甘いなっていうのを、今日先生と会っていろんな話を聞かせてもらって気付くことができました。やっぱり今一番したいことっていうか、しなきゃいけないことが“優勝”だと思うんで、本当に今日先生に会えてよかったです」と恩師との再会で、また1つレベルアップのギアが上がったようでした。

最後に、優勝したら? との問いには「やっとスタートラインに立てました。って先生に報告したいですね。田中先生の門下生として、植木さんや中田と4人で食事できるように…それが今1番の夢です!」と口をキュッと結んだ強くていい笑顔を見せてくれました。

その田中選手、9月27日から戸田で行われるニッカン・コム杯にあっ旋されています。“てっぺん”を目指す田中選手にぜひご期待ください!

田中京介選手のお父様・護さん(左)とお母様の光恵さん
田中京介選手のお父様・護さん(左)とお母様の光恵さん
 
 

ボートレースの存在を教えてくれたのは、身近で見守っていてくれていたお父様の護さん。いつもレースが終わるたびにお電話をくださるそうで「ここが良かったね。あれが良かったね。っていつも言ってくれるんです。でも、成績が悪いときには気を使って電話はないんで、いつも電話がもらえるような成績を残したいです」と田中選手もとてもうれしそうに大好きなお父様の話をしてくれました。