真夏のオールスターは岩津裕介(34=岡山)が悲願のG1初戴冠で締めくくった。2段駆けの京都勢を追走し、ゴール前で番手まくりした稲垣裕之(39=京都)を差し切った。2年ぶり2度目の出場となる、年末のKEIRINグランプリ(GP)はG1覇者として頂点を狙う。

 身長169センチの小さな岩津裕介が大仕事をやってのけて、新たなG1ウイナーが誕生した。『村上義弘-稲垣裕之で2段駆け』。決勝の作戦は「雰囲気からこういうレースになる」と、持ち味の嗅覚をフル回転して京都勢の後位を選択した。想定通りに青板バックから京都勢が先行して、最終1角から稲垣が番手まくりを放った。最後の直線はこん身の追い込みでかわして、稲垣のG1初Vの夢を砕いた。

 涙はない。「こんなこともあるのかな」。表彰台の真ん中で勝者は不思議な感覚に包まれた。名門倉敷工高・野球部で主将を務め、競輪学校の86期生を受験したが不合格で87期に合格。在校成績は75人中37位と、同期の平原康多らと比較すると目立たない存在だった。

 13年1月静岡G3の落車で頸椎(けいつい)捻挫してから、体のケアと「自分の甘いところを見つめなおした」。それが転機となって14年のGP初切符をつかんだ。だが、初の大舞台は単騎戦で落車して9着大敗と無念だけが残った。S級S班だけに許される赤いレーサーパンツも昨年だけに終わった。「自分が新田(祐大)君や深谷(知広)君のようになれるわけがない。研ぎ澄ませるところを研ぎ澄ましていくしかない」。

 大舞台で目標不在も少なくない。ならば独特のレース勘と勝負度胸を発揮して勝利をかっさらっていくしかない。G1決勝は8度目、オールスターは3度目の決勝で夢をつかんだ。「すぐに次へ、向かっていきたい」。苦労人に、最後まで涙はなかった。【大上悟】

 ◆岩津裕介(いわつ・ゆうすけ)1982年(昭57)1月7日、倉敷市生まれ。倉敷工卒。87期生として競輪学校に進み02年8月9日武雄でデビュー。14年には賞金ランク8位で岸和田GP出場。通算1125戦250勝。総取得賞金は5億3069万1200円。169センチ、78キロ。血液型A。