村上義弘(41=京都)が史上最多タイとなる4度目の日本選手権(ダービー)戴冠を飾った。ダービー最年長で名古屋ダービーは3連覇。近畿結束で先行した三谷竜生の3番手で大仕事を果たした上で頂点をつかんだ。輪界の頂上決戦KEIRINグランプリ(GP)7年連続10度目の出場を決めた。

 この男の涙声、はにかむ笑顔をファンは待ち続けていた。村上が、F1先行で一時代を築いた吉岡稔真(引退)と並ぶダービー史上最多4度目V、鈴木誠(千葉)が持つ39歳11カ月18日の最年長優勝記録を塗り替え、名古屋ダービー3連覇という偉業を達成した。

 「競輪選手にとって日本選手権は夢のひとつ。年々、苦しい戦いになる中で近畿の仲間やみなさんの声援が背中を押してくれた」。

 この男が培ってきた近畿の絆が大舞台を支配した。赤板先行の三谷がハイペースで川村晃司-村上を引っ張った。最終ホームで中部3車が鋭く巻き返して川村が番手発進。村上が竹内雄作をブロックして不発にし、最終3角すぎに3番手からまくった新田祐大を好けん制。さらに、内を突いた岩津裕介もすかさずブロックと、川村援護へ入魂の大仕事だった。

 「川村とは若いころから一緒に練習してきて初めてG1決勝に乗った。三谷もハイピッチで駆けてくれた。今の近畿は心の奥でつながっている」。

 逆境にとことん強い。4年前、直前の練習中に右肋骨(ろっこつ)を骨折しながら単騎で雨のGPを初制覇してみせた。そして2年前の名古屋。日本競輪選手会からの脱会騒動で出場自粛に入る直前のダービーを制したが祝勝パーティーに主役の姿はなかった。冷え切った体のまま、入り口で待つファンへのサインや握手に応じ続けた。あの時と同じ場所で、また同じ男が強さを見せつけた。記録とともに記憶にも残る村上にとって、あくまでここは通過点だ。【大上悟】

 ◆村上義弘(むらかみ・よしひろ)1974年(昭49)7月6日、京都市出身。花園高卒。競輪学校73期生として在校16位で94年4月小倉デビュー。00年ふるさとダービー豊橋でG2初優勝。G1は02年全日本選抜を皮切りに6冠。通算成績は1745戦558勝。通算取得賞金は15億9308万4189円。170センチ、76キロ。血液型O。