こんにちは、競輪歴31年目の田中聖二です。「吉岡、神山時代」に競輪担当記者をしていました。

 5月23日、日刊スポーツ杯・鈴木保巳メモリアルのあいさつに前橋競輪場に行った。6Rと8R発売中、その神山雄一郎(栃木)のトークショーが開かれた。告知ポスターを撮影していたら、ばったり本人と会った。直接会ったのは数年前のJKA表彰式以来。本番前だったのであいさつをかわすぐらいしかできなかったが、50歳とは思えない若々しい姿だった。

神山雄一郎トークショーを告知するポスター(撮影18年5月23日)
神山雄一郎トークショーを告知するポスター(撮影18年5月23日)

 神山のプロデビューと私の記者デビューはくしくも同じ88年5月で、勝手に親近感を抱いている。競輪学校の記録を次々塗り替えた。超大物新人と騒がれ、すぐに特別競輪を優勝すると言われていた。89年11月に新人王を優勝したが、年下の吉岡稔真、高木隆弘、海田和裕らにG1制覇を先に越され苦しんでいた。転機は93年7月の函館ふるさとダービー。吉岡を相手に逃げ切りビッグレースを初優勝した。今でも思い出す言葉がある。「先行で勝てれば無敵になれる」。先行力を磨くことで1歩1歩頂点に近づいていく。

 迎えた9月、地元宇都宮でのオールスター。まくり追い込みで悲願を達成した。「特別を勝てないかもと思ってたこともあった」と苦しい胸の内を話し、25歳での戴冠に表彰式で男泣きした。

大勢のファンの前で思い出を話す神山雄一郎(右)。司会はグラビアアイドルで競輪好きの桜井奈津(撮影・18年5月23日)
大勢のファンの前で思い出を話す神山雄一郎(右)。司会はグラビアアイドルで競輪好きの桜井奈津(撮影・18年5月23日)

 あれから半世紀。神山はタイトルを重ね、レジェンドと呼ばれている。

 「1戦1戦を大切にしている。日本選手権は初戦で勝ち上がりに失敗したけど、敗者戦でも大事に走った」

 「思い出のレースはいっぱいあります。デビュー戦(花月園で初勝利)、宇都宮でのオールスター……」

 「山崎(芳仁)君が大ギアブームをつくったとき、これに合わせるのが厳しかった」

 「今の選手は普通に話しているけど、僕らのころは西の選手と話すことはめったになかった」

 トークショーでのレジェンドの一言はすごく重く、集まった大勢のファンは静かに耳を傾けていた。8年ぶりのレジェンドのトークショーを生で見られたファンは幸せだったと思う。

レジェンド神山雄一郎の8年ぶりのトークショーに大勢のファンが集まる(撮影・18年5月23日)
レジェンド神山雄一郎の8年ぶりのトークショーに大勢のファンが集まる(撮影・18年5月23日)