武田豊樹(41=茨城)が3年ぶり2度目の競輪王に輝き、今年は高松宮記念杯と合わせて2冠、通算7度目のG1制覇をした。最終2角3番手からまくった平原康多(33=埼玉)を追走し、ゴール寸前で差し切りワンツーを決めた。12月30日の京王閣KEIRINグランプリ(GP)に出場する9戦士が決定し、武田はこの勢いで連覇を狙う。

 壮絶な戦いを制したのは武田豊樹、平原康多の絆だった。表彰式直後の胴上げは競輪王より先に平原が3度宙を舞い、続いて武田が同じく3度宙を舞った。武田が平原に敬意を払えば、敢闘門を並んで引き揚げた時、平原が武田の右腕を高々と上げて武田が笑顔で返した。

 どんな苦難も一瞬して打ち砕いてしまうのが、2人の真骨頂だ。中部2車が赤板1センター8番手から仕掛けたが、村上義弘が突っ張り先行で不発に終わらせた。平原が打鐘2センターから内を突き、稲川翔をどかして3番手をゲット。ところが「稲川君が降りてきて押し込まれた」(武田)。武田は平原との連結を外し、前を稲川に奪われた。

 まさかの展開も2人には問題ではなかった。最終1センターで稲川が内をしゃくって逆襲すると、それをしのいで2角まくり。連動した武田が鋭く踏み上げて平原と合体。「バンクの重いところで内からやられてもまくりを放つ。平原君の優勝は確実と思った」と盟友のすごさを語ったが「必死だったが、ゴール寸前で手応えはあった」と武田の勝負魂も本物だ。

 G1・2冠で2年連続のGP王者を狙う。「GPユニホームのプレッシャー、ギア倍数の規制で思うように走れずに苦しんだ」と、苦闘の年を振り返る。「ここ一番でタイトルを取ると決めていた。この気持ちがGPにいく。今年はGPが関東に帰ってくる。関東の代表選手として、今年もGPを取りに行く」。最強の盟友平原とともに。【大上悟】

 ◆武田豊樹(たけだ・とよき)1974年(昭49)1月9日、北海道斜里町生まれ。釧路緑ヶ岡高(現武修館高)卒。02年ソルトレークシティー五輪のスピードスケート代表から転向。競輪学校88期生で在校3位。03年7月立川でデビュー。09年3月の日本選手権でG1初優勝、G1通算7冠。昨年の岸和田でGP初制覇。通算930戦371勝。通算獲得賞金12億7850万2758円。177センチ、90キロ。血液型O。家族は夫人と2女。