中川誠一郎(36=熊本)が熊本地震の被災地へ、希望のエールを送る、G1日本選手権(ダービー)初制覇を果たした。単騎で最終ホーム最後方からスパートして、もつれた前団を一気にまくり切る劇的な勝利で悲願のG1初戴冠を果たした。自転車競技代表としてリオ五輪へ最高の弾みをつけた。

 熊本で生まれ育った男の背に、被災地から風が吹いた。たった1人の激走劇。「シリーズを熊本地震被災地支援としていただいたことを感謝します。まずは熊本の人たちに伝えたい」。被災地から来た男が、ヒーローインタビューで身を大きく震わせた。

 決勝は赤板前から仕掛けた深谷知広を前受けの新田祐大が突っ張って応戦した。「ワンチャンスに集中」。単騎戦を挑んだ男に千載一遇の勝機が生まれた。「深谷君が必ず巻き返す。絶対にチャンスは来る」。最終ホームで仕掛けた深谷に連動して最後方からスパート。2角で深谷を乗り越えるとそのまま出切って独走態勢。栄光のゴールまで全力で踏み切った。

 地震発生の4月14日は前場所の川崎G3直後の全日本自転車競技大会出場を控えて静岡・伊豆に滞在。急きょ欠場して帰路についた。だが、空路も高速道路も遮断。福岡空港から「先輩の車で一般道を走って熊本にたどり着いた」のは17日だった。熊本市中央区の自宅は倒壊は免れたが「給湯器は壊れ、部屋の中はめちゃくちゃ」。直前まで家の片付けに追われた。

 そんな状況の中で力を振り絞った。「自分にできることは走ることだけ。6日間、追い風が吹いた。自分の力だけではない」。6月以降は競輪を離れて自転車競技の代表としてリオ五輪へ集中する。優勝賞金6500万円。「五輪が終わるまでは生活があるので全部とはいえませんが寄付させていただきます」。五輪のスプリントでも快走し、被災地にさらなる希望を届ける。【大上悟】

 ◆中川誠一郎(なかがわ・せいいちろう)1979年(昭54)6月7日、熊本市生まれ。私立真和高卒。競輪学校85期生として00年熊本でデビュー。12年ロンドン五輪スプリント9位、チームスプリント8位。13年12月メキシコW杯1キロTT1分0秒017の日本記録を樹立。通算成績は1231戦351勝。通算取得賞金4億7068万2655円。174センチ、78キロ。血液型AB。