平原康多(34=埼玉)が初日に失格した昨年大会の雪辱を果たし、G1開幕戦を制覇した。先行の番手を奪取から、カマした新田祐大(31=福島)に切り替えて直線一気に差し切り、通算7度目のG1優勝でKEIRINグランプリ(GP)一番乗りを決めた。

 G1開幕の大舞台は完璧なリベンジを果たした「平原劇場」で完結した。まずは逃げた三谷竜生の番手奪取に動いた。「作戦通り」の前受けから赤板で「近畿勢が上昇してきたが2段駆けもある。(6番手の)浅井(康太)のところまで引くと勝ち目はない」。1度は3番手まで下げたが、稲垣裕之の内で粘った。稲垣の抵抗で「長引いて足を使ったが死ぬ気で」。打鐘3角から競り合い最終1センターでけりをつけた。2角では猛スピードでまくってきた新田の番手にスイッチして最後は直線一気。盟友武田豊樹とワンツー決着だ。

 昨年の大会はまさかの初日失格で3月の日本選手権も準決落車と失速した。試行錯誤の連続は「全部が裏目」。前半戦は負の連鎖に陥り、G1競輪祭で最後のGP切符を奪取するまで苦闘した。「昨年の失格だけを(苦しんだ)原因にしたくないが、今年はまさかのGP一番乗り(笑い)」。1月の立川G3は3連勝から決勝3着、地元大宮G3は完全V。12戦9勝(勝率75%)で3連対率は100%と、昨年のリベンジを果たしても余りある強さを見せつけた。

 通算7度目のG1戴冠にも通過点を強調した。「G1優勝を目標に練習してケアしている。連日ワンツー(2着)だったが、今日は武田さんに勝ってしまった」。苦しんだ分だけ、今日だけは笑いが止まらない。早々とGP切符を獲得したが平原劇場は、これで閉幕ではない。悲願のGP制覇へ向け、平原が新たな舞台への幕を開けた。【大上悟】

 ◆平原康多(ひらはら・こうた)1982年(昭57)6月11日、埼玉県狭山市出身。川越工高卒。競輪学校87期生で在校8位。02年8月西武園デビュー。06年8月のふるさとダービー富山でG2優勝。09年6月高松宮記念杯でG1初制覇して通算7冠。通算1011戦296勝。通算取得賞金9億4199万1200円。185センチ、97キロ。血液型A。