競輪でG1を2勝した渡辺晴智(47)の娘、栞奈(かんな=24)が今年1月、競輪選手養成所に合格した。わずか5カ月の特訓で難関をくぐり抜ける前は、自転車競技の経験はゼロ。遺伝なのか? 天才なのか? 就職した介護福祉施設を辞めてまで身の回りの世話をした祖父の死が、転機になった。【取材・構成=松井律】

自転車競技歴が全くなかった栞奈の心境に変化が生じたのは昨春、競輪選手養成所を卒業した弟雅也が、父晴智と一緒にデビューへの準備を進める姿を見ていた時だった。「私もやってみたい」。

突然の娘の告白に、父は「何を考えているんだ」と驚き、弟も「ふざけているのかと思いました」と最初はまともに取り合わなかった。養成所の試験は10月。わずか5カ月の訓練期間で合格するとは到底思えなかった。ところが晴智が与えた練習メニューを言われた通りにこなすと、ひょろひょろだった体はまたたく間に10キロも増量し、非凡なセンスを見せ始めた。いっさい反抗などしなかった。

晴智は振り返る。「(自分が)競走から帰ってくると、タイムがぐんぐん伸びていた。僕がいない間もかなり努力していたんでしょう」。ついに娘の本気度を認め、受験にGOサインを出した。

栞奈が「2回目はないよ」と言い切ったので父は少し安心した。1回受ければ納得してやめるだろうと思ったのだ。しかしその言葉は「1回で受かるから」という意味で、えたいの知れない自信から出たものだった。そして、それは現実となった。

昔から運動神経が良く、中高ではバスケットボール部に所属。県大会にも進めない弱小校で、将来的にスポーツをなりわいにするとはみじんも考えていなかった。高校卒業後は介護の専門学校へ進み、介護福祉施設に就職。1年がたった頃、祖父が要介護に。「おじいちゃん子だった私が、仕事を辞めて付きっきりで介護をすることになったんです」。献身的に介護した祖父は一昨年に他界。役割を失い、アルバイトをしながら将来について悩んでいた栞奈の目に、競輪に人生を懸ける2人の姿が飛び込んできた。

「幼い頃の父は、家にいない人という印象。レースは家族で見ていたけど、すごい人だなんて思っていませんでした。でも、今なら分かります。応援する気持ちもとても強くなりましたね」。

この5月、晴れて122期生として養成所の訓練生になる。まだ1人で自転車を組み立てることもできない彼女が、これから真っ白いキャンバスにどんな色をつけていくのか。楽しみで仕方がない。

◆渡辺栞奈(わたなべ・かんな)1996年(平8)10月22日、静岡県生まれ。中学、高校時代はバスケットボール部に所属。1度は介護福祉士の道へと進んだが、一念発起して競輪界入りを決意。122期に一発合格。

◆渡辺晴智(わたなべ・はるとも)1973年(昭48)7月30日、静岡県生まれ。競輪学校(現競輪選手養成所)73期生として94年4月デビュー。08年日本選手権、高松宮記念杯優勝。現在もS級1班に在籍。おいの渡辺雄太(105期)を筆頭に、多くの若手を育成中。通算2191戦、427勝、優勝46回。

◆渡辺雅也(わたなべ・まさや)2001年(平13)2月11日、静岡県生まれ。中学まではサッカー部に所属。高校から本格的に自転車競技に取り組んだ。117期を9位で卒業し、20年5月デビュー。父譲りの俊敏な立ち回りで、12月にA級2班に特昇した。

<とっておきメモ>

雅也が高校で本格的に自転車競技を始めた頃、晴智に「娘もやりたいと言ったらどうする?」と聞いたことがある。すると鼻で笑って「ないない。手の早い競輪選手にちょっかい出されそうだから娘にはやらせないよ」と親心を見せた。その当時は、娘が選手になるとは夢にも思っていなかったはずだ。

これまで晴智の背中を追って、長男だけでなく、おい2人も選手になっている。息子たちにはスパルタ指導を貫いてきた晴智が、娘には実に甘い。「栞奈には怒った記憶がないんですよ。昔から友達がいじめられていると1人で立ち向かっていってしまうような強い子でしたから。でも親バカがばれちゃったな」。

G1・2勝、競輪界最高峰のKEIRINグランプリに3度乗った男のウイークポイントがはっきりと見えた。【律】