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武田豊樹が悲願の初戴冠&賞金王/岸和田

KEIRINグランプリを制した武田豊樹は、スポットライトを浴びてウィニングラン
KEIRINグランプリを制した武田豊樹は、スポットライトを浴びてウィニングラン

<岸和田競輪:KEIRINグランプリ・シリーズ>◇最終日◇30日

 西日本初開催のGPで、武田豊樹(40=茨城)が悲願の初戴冠を果たした。盟友・平原康多(32=埼玉)の先行に乗り、最終バック手前から番手まくりを決めた。初の1億円超えの賞金を獲得。史上7度目(6人)の年間2億円突破を達成し、初の賞金王に輝いた。

 逆境を耐えに耐えてつかんだ頂(てっぺん)にも涙はなかった。打鐘4番手からおとこ気で先行勝負した平原を追走。最終ホームすぎには後方からカマしてきた深谷知広をシビアなブロックで不発に終わらせ、バック手前から鋭い番手まくりでの圧勝劇。6度目の挑戦で夢をつかんだ。

 引き締まった視線の先には長い道のりが走馬灯のように浮かんでは消えた。「試されている。そう受けとめ、前を見るしかない」。長い長い1年の時だった。

 昨年7月の高知G3で追走義務違反によって失格。それ以降は出場停止処分などによって棒に振りGP資格を喪失した。1月1日からF1戦で復帰したが昨年12月の選手会脱会騒動で5月から1年間の出場自粛の勧告処分を受けた。軽減措置で8月のサマーナイトFから再起したが高松宮記念杯と寬仁親王牌のG1参戦を失った。9月オールスター制覇でGP切符を獲得してスピードスター健在を示したが苦悩の連続だった。

 「去年からいろんなことがありすぎた。29歳でデビューし、もう40歳。ピークは過ぎているはず」。タフな男の心は何度も折れそうになった。酒豪が、酒に飲まれそうになることも。だが、家族の存在が男をバンクに立たせた。出場自粛中の最も苦しく悩んだ時期に待望の次女を授かった。自分の名前から一字、そして未来に希望を託し「樹来(きら)」と命名した。

 「武田ブルー」と呼ばれる愛車には、スピードスケートの五輪代表だったプライドを描かれた日の丸に込めた。その愛車を紫地に金色コイが金色の龍に変幻という大胆なものに一新。09年日本選手権でG1初戴冠した舞台で、コイは昇り龍に。悲願を成就させた。来年1月9日に41歳を迎える。「グランドスラムの目標もあるが、まだまだ先頭を走る選手でありたい。来年もこの舞台に立てるように」。激動の輪界をタフな男が締めくくった。【大上悟】

 ◆武田豊樹(たけだ・とよき)1974年(昭49)1月9日、北海道斜里町出身。釧路緑ヶ岡高(現武修館高)卒。02年ソルトレークシティー五輪スピードスケート代表から競輪に転向。競輪学校88期生で在校3位。03年7月立川デビュー。09年日本選手権でG1初制覇。同オールスター、12年高松宮記念杯、同競輪祭、14年オールスターのG1・5冠。通算855戦345勝。通算獲得賞金11億4098万1621円。177センチ、90キロ。血液型O。家族は智恵子夫人(33)と2女。

 [2014年12月31日10時6分 紙面から]

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