瑞季(福岡ダイエー・内野手)
僕は“雑草”だから、失うものは何もないんです。
だからガムシャラになれるんですよ。

入団5年目。23歳。この端正なルックスからは想像できないでしょうが、新聞配達、パチンコ屋店員、土木作業…。プロ入り前は色々なアルバイトで生計を立てていたそうです。入団テストから入った「雑草魂」。夢は叶うことを、身を持って教えてくれています!(プロ野球ai2004年9月号)

HISTOY 

「手紙やプレゼントは何でも嬉しいっス」。最近はお香やTシャツ(L〜Oサイズ)も届くようになりカナリ重宝しているとか
★取材を待ってる間、大道選手が言ってましたよ。「あいつは、元パチンコ屋の店員ですよ!」って(笑)。
「(笑)本当その通りですよ〜! パチンコ屋、新聞配達、日雇いの現場作業。プロに入る前は色々なアルバイトをやりましたからね」

★高校卒業後、1年くらいフリーターをやっていたんですよね?
「そうなんです。和歌山の住友金属に入って練習(キャンプ)に参加したんですけど、正直、水が合わなくて…。“人生は野球だけじゃない。もっと違うことがしたい!”って思ったんですよね。そう思ったら辞めるしかないと思ってですね…。で辞めました」

★「もっと違うことがしたかった」? 何をしようと??
「板前になろうと思ってたんです」

★!?
「その時は、ですよ(笑)。でも辞めて福岡に帰ってきたら、とりあえずお金を稼がないとダメじゃないですか。実家で生活してたけど、親にも迷惑かけられないんでバイトを始めたんです。板前の夢はそのうちなくなりましたけどね(笑)」

★毎日どんな生活をしてたんですか?
「バイトに明け暮れる生活で、朝と夜が逆転してました。友達と普通に遊んで、たまに草野球をやって。普通の大学生とあまり変わらないような生活をしてましたね。とにかくお金がなくて財布の中身は300円ぐらい。腹が減ってもコーラ1本で我慢した日もありました」

★そんな中、ダイエーのプロテストを受けようと思ったきっかけは?
「知り合いの人が勧めてくれて、母親が勝手に申し込んじゃったんですよ。自分としては半年以上も練習してないし、絶対ムリだと思って行きたくなかったんですよね。テストの前日も友達と遊びに行ってましたから」

★それが合格!?
「いやいや、その時はまだわからなかったんですよ。2回くらい練習に呼ばれたんですけど、正式に決まったわけじゃなかったし。ドラフトの日も指名されると思ってなかったから作業着来てコンクリート工事のバイトしてました。だから球団から携帯に電話が来た時は現場のオジちゃんと一緒に“オーー!”って大喜びしましたね。ホント、この日を境に環境が“地獄から天国”にイッキに変わりましたよ〜」

★瑞季選手ファンの多くは「苦労してプロに入ったから」という理由で応援する人が多いようです。
「嬉しいですね。自分、雑草ですからね(笑)。体も小さいし、甲子園も行ってないし、失うものは何もないんですよ。自分のプレーで見ている人に勇気や希望を与えられれば本当に嬉しいんですよね」

★今年は36試合に出場して6月13日(オリックス戦)には7回2死満塁に代打で出場。右中間を抜ける勝ち越し三塁打(3打点)を放ちましたね!
「嬉しかったです! 初球から思い切って振ったら打球が抜けてって…。“オッ、オッ!”って思いながら走ってました」

★そして福岡ドームのお立ち台に初めて立ちましたね。
「サイコーでしたね。初めてのお立ち台が福岡ドームだったんで…。キャンプの朝の声だしで“今年は福岡ドームのお立ち台に上がります!”って宣言したので、夢がかなって本当に興奮しました」

★大きな自信になりましたね。
「5年目でやっとスタートラインに立てた感じですね。これまではケガも多かったし、肩を手術したり(00年)悔しいことだらけだったので。まだまだ課題は多いけど、野球ができる幸せをかみ締めて毎日ガムシャラにやるだけです」

★最後に瑞季選手をまだ知らない全国のファンに一言。
「まだ名前を覚えてもらってないと思うので、とりあえず“瑞季”という名前と背番号“56”を覚えてほしいですね。外野で応援してくれるホークスファンの皆さんには“迷惑かけることもあるけど、これからも温かく応援してください”ってお願いしたいです」

★フリーター時代に後悔は?
「してないです。いい勉強になったし、野球をやれる喜びを知ることができたから。今思えばいい経験でしたね」
撮影/作田祥一 取材/樫本ゆき
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