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たなか・みずき●174cm、74s。右投両打。血液型O。背番号56。二、三、遊どこでも守れる身体能力と遠投120mの強肩を持ち、今季は36試合に出場。守備を評価されシーズン序盤から1軍入りを果たしたが、打撃(両打ち)も現在好調で2割7分6厘の打率を残している。(7月8日現在)「正三塁手」を目指し打撃、守備の確実性を求め日々奮闘中。
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★1980年9月21日 福岡県久留米市生まれ
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泣きべそかいていつも迷子に…
「子供時代は泣きべそ野郎。天邪鬼だったから、どこ行くにもチョロチョロして、いつも親とはぐれとった(笑)。小1の時、福岡ドームに試合見に来た時も迷子になって事務所で泣いてたらしいです」
- ★1986年4月 荒木小学校入学
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弱小チームのピッチャーでした
「小1の時に“荒木シャーク”っていうチームに入ったのが野球を始めたきっかけ。周りの友達がみんなやってたし、1つ下の弟も入ってきたから、自然と続けていましたね。小5くらいからピッチャーをやりました。でもレベルが低くて県内でもなかなか勝てなかったです。ちなみに松田聖子さんとは同郷。同じ小・中学校なんですよ」
- ★1993年4月 荒木中学校入学
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厳しかった硬式野球
「硬式のジャパンリーグってい小規模のリーグで“久留米ペトリオッズ”というチームに入りました。ここでは主に内野手。練習がきつかった〜! だからよくサボってました。河川敷まで1時間くらい自転車で通っててね、遠かったんですよ。中学時代? ヤンキーじゃないですよ。好青年ですよ! 女の子には…モテなかったね。野球ばっかりの毎日でした」
- ★1996年4月 福岡・柳川高校入学
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2年間ケガばかり。最後の夏はベスト4
「1年間だけ寮生活をして、その後は実家から通っていました。1、2年の時は足首のケガが治らなくて入院と治療の繰り返し。全く野球ができなくてやめようかと思ったこともありました。でも3年の夏に背番号6をもらって県大会は“3番ショート”で出場。甲子園は行けなかったけど最後の夏に試合に出られて嬉しかったです」
- ★1999年 早春
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住友金属和歌山に進むが約1ヶ月で退社。
「親の反対もあったけど、最後は自分の意思で辞めました。入社前に辞めたので配属とかも決まってなかったです。辞めたときは野球以外のことがしたくて福岡に帰ったけど、けっきょく地元で草野球とかして遊んでましたね。“楽しい野球”は久々でした」
- ★2000年 入団テストに合格し、ドラフト5巡目で福岡ダイエーホークス入団
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「入団テストは“ぶっつけ本番”。全く練習もしないで臨んだので足がつりそうになりながら走りましたよ(笑)。200人くらい受けに来てて、なぜか僕だけが後日呼ばれたんです。信じられなかったです。入団発表の時は、周りはみんな有名選手ばかりで自分は場違いだと思いましたね。正直この時は不安のほうが大きかったです」
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