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あおき・のりちか●175cm、77kg。右投左打。血液型A。背番号23。早大時代は、3年春から4年春まで3季連続ベストナイン。3年秋には、打率.436で首位打者に輝くなど、リーグ4連覇に貢献した。8月のフレッシュオールスターでは5打数4安打3得点2打点2盗塁でMVPに
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★1982年1月5日 宮崎県日向市生まれ
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「幼少時代から“足自慢”!?」
「正月三が日明けすぐに生まれたけど、さほど大変ではなかったみたいです。ただ、誕生日祝いはしてもらえなかったときはありましたね。“国が祝ってくれるからいいじゃないか”とか言われて、ケーキだけ(笑)。小さいころは、随分やんちゃだったらしいです。何かもう、本当に元気な子だったって(笑)。祖父が朝、畑仕事に出るとき、一緒に行っていたそうです。犬を引き連れて。で、そこで遊んでいた記憶はありますね。よく走り回っていて、危なっかしい子だった。“どこかいなくなっちゃうんじゃないか”って、いつもみんな心配していたみたいです」
「日向キャンプで近鉄・ブライアントと遭遇!」
「地元・日向で近鉄がキャンプを張っていて、何回か観に行きました。幼稚園か小1のときのことは一つ、記憶しています。ちょうどブライアントや村上(隆行)さん、阿波野(秀幸)さんなんかがいた時期。自分、村上さんに“サインください”って言いました。あと、なぜかブライアントに抱きかかえられたんですよ。ちょうどそのとき、自分、前歯が1本取れていて。そしたら、ブライアントに“E.T.”って指を指されて、笑われたんですよね(笑)。映画の『E.T.』のことだと思うんですけどね」
- ★1988年春 全日知屋(ぜんひちや)野球スポーツ少年団入団
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「最後の県大会で有終の美飾る!」
「小学校1年生のとき、おじが監督をしていたチームに入りました。兄もそのチームにいたんで、幼稚園ぐらいからずっとくっついていって、ボール拾いみたいなことはしていたんです。1年生のころは、ユニホームは着ていたけど、まだずっと“応援団”してましたね。初めて試合に出たのは、小3。ポジションは、ライトでした。少年野球でライトというと、一番ヘタなやつがやるポジションなんですよね。でも、5、6年生の中に交じってやってましたから。その後は内野、ピッチャー、キャッチャーと、ファースト以外は全部やりました。チームとしては、あまりいい成績は残していませんが、6年生の最後の大会に、県で優勝したんですよ。ホント、最後の最後に。そのときは、僕がピッチャーをやっていました」
- ★1994年4月 富島中学校入学
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「野球自体に興味を持てなくなった“低迷期”」
「中学時代は、学校の部活。あまり成績はよくなかったですね。市の大会では優勝するけど、県大会で1回戦負け、という感じでした。ポジションは、ショートとピッチャー兼任でした。正直、中学生のころは、あまり野球が楽しくなかったんです。なんか野球自体に興味が持てなくて。友達の家に行って、たむろったりゲームしたりして遊ぶほうが楽しかったんじゃないですかね。毎日練習には行ってましたけど、精神面では低迷期で、高校に入る前に、もう野球はやめようかと思いました。兄がラグビーをやっているのを見て、面白そうだったんですね。その影響で、自分も高校ではラグビーをやろうかなって」
- ★1997年4月 日向高校入学
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「いつの間にか野球部に……」
「入学してすぐ、中学時代からの友達に“野球部観に行こうよ”って誘われたんです。そしたら、やはり中学時代の先輩に“キャッチボールやろうぜ”って言われて、やったら、“明日も来いよ”って。それで、いつの間にか入らされてしまいました(笑)。まあ、中学時代よりは興味を持ってやれましたけど、公立校の普通科だったので、あまり部活にも力を入れてないし、野球だけに没頭できる環境ではなかったんですよね。それでも能力的に結構高い選手がそろっていて、3年の春は県大会で優勝したんですよ。それが、最高の成績でした」
「早稲田目指して定期テスト“だけ”頑張る!」
「高1ぐらいのとき、テレビでたまたま早慶戦を見たんですよ。藤井さん、鎌田さんが投げているときで、早稲田が優勝したんです。それで、“ああ、早稲田の野球部は強いんだ”って初めて知って(笑)。そのころ進路相談で、早稲田の指定校推薦があるっていうのを聞いたんですよ。“これが一番の近道だ、狙うっきゃねえな”と思いましたね。で、“推薦もらうには、どうすればいいんですか?”って聞いたら、“評定を上げろ”って。とりあえず、定期テストだけ頑張りました(笑)。だけ、ですよ。中間、期末前の2週間ぐらいはずっとほぼ徹夜。かといって、野球の練習も少しはあるし。頭痛かったですよ、あのときは。本当、机に向かうなんて、自分の性格的に考えられないですよ。じっとしていられないタイプなんで(笑)」
- ★2000年4月 早稲田大学入学
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「やっと野球に本腰。あっという間に流れた4年間」
「高校時代には、野球に専念できなかった――夏の大会(県ベスト8)が終わって悔しい思いをした、もう少し一生懸命やればよかったと思ったんで、大学では本当に野球に本腰を入れてやってみようと思っていました。野球漬けでも何でもいいから、とにかく4年間で、プロに行けなかったら、もう野球をやめようと。自分探しのために、大学に行ったような感じもありましたね。野球がダメだったら、ふつうに就職しようと思っていましたから。プロは憧れ的な存在でしたけど、高校時代は全然練習もできず、こんなんじゃあ行けるわけもない。でも不完全燃焼な気がして、とりあえず大学で頑張ってみようと思った。そうしたら、たまたま結果が出たんで、“もしかしたらやれるかもしれないな”と、可能性に賭けてみたんです。チーム自体の4連覇は、脇役が活躍してくれたのが大きかったですね。レギュラー以外のメンバーがしっかりサポートして、やりやすい環境を作ってくれた。振り返ってみると、4年間、結構早かったですね。それだけ一生懸命やったのかな。大学に行ったから今もあるし、早稲田を選んで、本当によかったと思っています」
- ★2004年4月 ヤクルトスワローズ入団
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