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★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ひとつだきしめて 寺野典子
94年12月17日私はマンチェスターユナイテッドの試合を見に渡英した。年配の男性サポーターと同様にまだ10歳にもなっていない少年が、声援(時には罵声)をおくっていた。公園では必ず誰かがサッカーボールを蹴っている。クリスマスイブに登ったパリのエッフェル塔から、学校のグランドが見えた。すでに陽は暮れ、風が冷たかったけれど、そのグランドでは、サッカーゲームが行われていた。そんな様子は、なによりもヨーロッパを感じさせていた。
そして年が明けた1月中旬真夏のオーストラリアで、U−22日本代表が参加する国際トーナメントを見た。地元のオーストラリアチームのサポーターよりも、祖国を離れ、移民生活を送っているはずの韓国人サポーターの数の多さや熱さに、なんだか世界を感じた。
ボール一つあれば、世界中で楽しむことが出来る、サッカー。
スポーツの多くが、国境を越える。しかしサッカーの規模は、他とは比べ物にならない。
多くの日本人サッカー選手が口にする“ワールドカップ”や“世界”“海外”という夢は、他のスポーツとは違った意味を持つように思う。世界の共通語であるサッカーだからこそ、世界を身近に感じる。しかし同時にレベルの差を痛感させられたりもするのだが…。
けれど本当に世界を知っているの者はわずかだ。
未知だからこそ、ワクワクもするし、挑戦したいとも思えるのかもしれない。
そして、1996年3月24日。五輪日本代表選手たちは、そんな自分の夢への大切な一歩を悪戦苦闘しながらも、踏み出すことに成功した。 サウジアラビア戦のあと選手たちに「おめでとう」と言いたかったのに、私の口からは「ありがとう」という言葉が出ていた。無意識だった。 アトランタ五輪代表(もしくは代表候補)チームに参加した選手たちのドラマを垣間見ることが許されたこの1年半のなかで、人が持つ、幾つもの感情を知ることが出来た。 10代後半から20代へ。今までの自分のままではやっていけないと思い知らされる出来事が多発しはじめる、そんな時期。それは人間誰もが通過する季節だ。こどものままではいられない何かを思い知らされる。そしてそれでも変わらないものを手にする季節かもしれない。 サッカーエリートと言っても過言ではない、五輪代表選手にとってもそれは同じだろう。ただしエリート故にその季節も激しく、熱く、厳しいのかもしれない。喜びと悔しさ……そんな感情を言ったり来たりしている彼らの姿。今思い出せる数々のシーンと言えば、喜びに溢れた彼らの顔よりも、悔しそうに空を見上げる顔のような気がする。 負けるのが、大キライな彼らは、いつも上ばかり見ていた。 サッカーが大好きだという気持ちを、ただひとつだきしめて。 本書は、そんな彼らの途中経過報告にすぎない。これからも満足とはほど遠い気持ちを抱えながら、成長という変化を続け、階段をのぼるように日々を生きていくはずの彼らが、1996年春から夏、何を思い過ごしていたのか?そのことをここに書き記しておきたかった。 未来を不安に思ったとき、悔しさに顔を歪めながらも、絶対にあきらめないという気持ちだけで立っていた、彼らの瞳の輝きを私は、思い出すだろう。 そして、未来はボクらの手のなかにあることも。
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