はじめに
「カーン、カーン、カーン……」
引退するボクサーを送るための「テンカウント」のゴングが斎場に静かに寂しく響き渡る。ここには悲しみと涙、行き場のない怒りしかない。理由なく十七歳八ヶ月の生命を奪われた無名高校生ボクサーの野辺の送りである。四百人以上の十七歳たちが春三月とはいえ、まだ底冷えのする中に呆然と立ち尽くす。熱い思いを抱いていた若者の死。彼らの心は凍てついていた。
そして日比谷線の事故が起きた。犠牲者の一人は高校同期の友人の息子であった。麻雀を一緒にやったこともある富久信介だった。私にはその家族の心の奥の奥までを忖度して、真に慰めとなるようなことばを掛けることも、行動をとることもできなかった。その力があるとも思えない。経緯こそ違え、Sの家族に対する十七歳のときの自分とそんなに変わっているわけではない。だが、五十歳を過ぎ、出版社に身を置き、いささか社会的なキャリアを積んで来た自分が、子どもを失った親である友人に対して、やはり何もしてやれないのか、あまりにも情けない。不遜に思われるかもしれないが、正直そう思った。
Sやご家族のためにはできなかったが、今の私なら、富久信介の生きた証をかたちにして、親たる友人に献呈できる。そうすれば、家族のみならず知ってくれた人たちそれぞれの心の中で信介は生き続ける。そんな思いから本書を編んだ。
それともうひとつ。私はかつてより、信介がハードな生き方をしていることを邦彦から聞いていた。麻雀を一緒に打ったりすると、その身体がどれほど鍛えられているかを外見からも窺い知ることができるほどだった。古武士のような風貌を備えた信介は、どう見ても現代の若者というふうには見えなかった。
そして葬儀の日。参席していた若者たちは紛れもなくよく街で見掛ける風体をしていた。厚底ブーツ、ガングロ、ルーズソックス、ルーズな服装。まさに現代の若者たちである。彼らは悲しみにくれながら寒い外に立ち尽くし、最後まで帰るということがなかった。それはある意味では意外だった。ところかまわずしゃがみ込むのが彼らのやり方だと思っていたから。麻布に校歌があったとしても、誰も歌わないだろう、という予測も見事にうれしくも裏切ってくれた。そのウエットな部分が好ましく思えた。マスコミを通して流される若者像で彼らを知る以外、実際にこの年代の若者たちと話をしたことは皆無とまではいわないまでも、ほとんどない。だから、それとの落差に正直驚き、興味が湧いた。かけ離れているように見える信介と彼らを結び付けているものは何なのかと思った。信介には心底悪いと思うが、こういう機会でもない限り彼らとことばを交わすことはないかもしれない。そこで日をあらためて彼らにインタビューを申し込んだ。結局、四十一名がそれに応じてくれた。
彼らは信介への思いを十全に語ってくれたが、私には、彼ら自身を語っているようにも感じられた。それだけ彼らは自分たちの信介への心情をストレートに話してくれた。それを読む方々にくみ取っていただきたいと思い、あえてできる限り、彼らの肉声、語り口をそのまま再現した。また、文中は敬称を略させてもらった。
なお付け加えたいのは、本書のような内容のものが世に出るということは、本来あってはならないということである。まだ社会に出ていない、まだ何もなしえていない若者の生命を奪うようなことが決してあってはならないという意味で。そのことがひとつ。さらには、残された家族や、助走だけで飛ぶ機械を奪われた若者の断腸の思いに思いをいたすならば、あまりにも過酷であり過ぎるからである。
二〇〇〇年三月八日午前九時一分、中目黒駅近くで起きた営団地下鉄日比谷線脱線衝突事故は、五人の尊い命を奪い、六十四人の負傷者を出した。
立川正憲
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