序文 ワーク・フリーへの旅立ち

人は至る所で束縛の鎖に縛られているが、生まれたときは自由だった。
ジャン=ジャック・ルソー(18世紀のフランスの哲学者)

 これは、私自身にとっても冒険の旅なのだ。

 自由に仕事をしたい(WORK FREE)という内側からの強い想いに追い立てられるようにして、未知の世界へ船出をするようなものだ。

 ここでいう仕事の自由とは、職場にGパンで出かけてもいいとか、あるいはもっと抽象的に「フリーな気分で働く」などという意味でもない。

 私が求めているのは、「自分の能力を自由に解き放って思い切り仕事で発揮する」、人間に与えられている根元的な自由だ。

 幸いなことに、私たちは周囲の環境に左右されることのない、生まれついての自由をそれぞれの内側に持っている。それを大変ありがたいことだと感じている。私の冒険の旅は、自分自身の持つ自由を知り、仕事にそれを存分に発揮させる旅だ。

 職場は、人間の活動領域の中で最も深刻に自由が奪われ、束縛される場所とされてきた。仕事に向かうとき、だれもがきつい鎖を感じるはずだ。「こうしなければならない」「すべきだ」「するのか、しないのか」。内側からの不安と、外側からの重圧によって張り巡らされた重い鎖だ。だから一般的には仕事とは、「もし選択の自由があるなら、やりたくないもの」のナンバー・ワンに君臨してきた。

 私自身、自由に仕事をする「ワーク・フリー」への挑戦を企てるたびに、鎖が引き締められるのを感じる。まるでゴム・ロープで柱につながれているように、無意識的な習慣が私を束縛し、引き戻そうとするのだ。最初の2、3歩はそれほど困難ではないのだが、自由に向かって歩き始め、日常から遠ざかるにつれて、引き戻す力が倍加する。ゴム・ロープが限界まで伸びきると、後ろ向きに一気に引き戻されて、あっという間に体ごとスタート地点に舞い戻る。もう一度初めからやり直す羽目になる。

 もしかしたら、と感じることもある。もしかしたら真の自由は、ゴム・ロープを結わえ付けた柱を中心にしたどこかに、すでに姿を見せているのかもしれない。柱から遠ざかろうとすること自体が間違いなのかも知れない、と。いずれにせよ、私が追求する自由は生まれつき内側にあるはずのもので、ボスや会社から与えられる自由ではない。この冒険の旅には、まず「仕事とは何か」を根元的な部分で見直し、定義し直す作業が必要だ。

 私が「自由に仕事をしたい」と渇望するようになったのは、70年代のことだった。大学教育界の比較的安定したキャリアを捨てて、自分が人生で本当にやりたいことは何なのかを考え始めた時期だった。テニスのインストラクターになったのは単に食べるためだったが、気が付いてみると、習得(学習)やコーチングに関して、根元的な発見のさ中にいた。それが最初の著書、「インナーゲーム 心で勝つ!集中の科学」(現代INNER GAME OF TENNIS=日刊スポーツ出版社訳刊)のテーマとなった。インナーゲームの原則は、生まれながらに「すでに備わっている」能力を使えば、人は知識やレッスンではなく「自分の体験」によって自然にものごとを学び取ることができるというものだ。それを信じ、信頼することが条件になる。

 インナーゲームの原則はこの二十数年の間、さまざまにテストされ、無数の分野で実際に活用されてきた。仕事やテニスで伝統的に採用されてきた「命令・管理」的な方法をインナーワークに置換することが十分可能であることを、実地に証明してきた。

 インナーワークは、ワーキング・フリーへの勇気ある旅立ちを約束する。この冒険の成否は、第一義的に読者自身の熱意と、自分自身への信頼の度合いにかかっている。

T・W・ガルウェイ
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