まえがき

 フッと、その時、新庄の顔が浮かんだ。アメリカにいるはずの新庄の姿。アイツだったら、こんな時、ブランド物の服を着て、カッコよくキメるんだろうなーと思ったら、なんとなく笑えてきた。こちらは70歳手前のおじいちゃん。普段着のジャージーで、私は「その時」を見守った。

 2003年9月15日。快晴の甲子園が感動の嵐に包まれた。

 赤星が放った夢を運んだサヨナラ打。私はスタンドにいた。ベンチでもなく、本部席や関係者席でもなく、ファンと同じようにスタンドの片隅で、快感に酔っていた。

 阪神で育った50年だった。その最後の最後に「いい夢」を見せてもらった。

 実は今回の優勝を本当なら「寮長」という立場で迎えていなかったのです。退職。昨年末で私もタイガースを卒業するはずだったのです。ところが後任の寮長がなかなか決まらず、とにかくあと1年延長してもらう−−との球団からの要請で、おまけの1年が2003年だったのです。

 長い50年にも及ぶ阪神の生活の中でのわずかな1年。それが、こんな津波のような激しい1年になるとは。人生なんて、本当に何が起こるか分からない。それを体感した1年は、私にこの上ない幸せを運んできてくれた。

 寮長として、わずかな力だっただろうが、私生活を見守ってきた若い子供たちが活躍しての感動の優勝。晴々と、優勝の行進に参加する井川の姿を見つけた時、おじいちゃんは柄にもなくホロッときてしまった。

 いいものみせてもらった。タイガースに感謝です。そして選手、コーチ、スコアラー、さらに長い期間、務めた寮長として自分が関わった数々の人間模様が頭の中を駆け巡る日々を、今、過ごしています。改めて「猛虎」を感じ、寮長の苦しみや辛さを忘れて、幸せな阪神での50年を振り返っています。

 私しか知り得ない選手たちの本当の姿。みんな、やさしくて、シャイで、ふつうの若者とまったく変わらない素朴な子供たちでした。中には手におえない選手もいたけど−−。

 寮長退任を機会に、みなさんに虎風荘の歴史と知られざる選手の素顔を明かしてみます。今年またタイガースを応援していただくみなさんに、観戦のエキスとして楽しんでいただければ幸いです。