プロローグ
04年夏、駒大苫小牧は全国4146校の頂点に立った。甲子園での北海道勢初めての優勝。
第1回大会から89年。ついに、深紅の大旗が津軽海峡を越えた。
あれから1年が経とうとしているー。

もう普通にはいられないんだな。
香田誉士史 (こうだよしふみ=34歳) 監督を見ていて、そう思った。
5月のある日のこと。駒大苫小牧は練習試合のため、遠征に出かけた。到着すると、審判が あいさつに来た。
「一緒に写真撮ってもらっていいですか」
香田監督は笑顔でカメラに収まった。
試合終了後、対戦相手の父兄がバーベキューでもてなしてくれた。恒例行事かと思いきや、 そうではないという。・相手の監督は言った。
「全国優勝した学校にわざわざ来てもらって。敬意を表してです」
そして、帰り道。高速道路のサービスエリアで一息いれていると、見知らぬ男性から声がかかつた。
「握手してください」
料金所でも、係員に話しかけられた。
「香田監督ですよね?がんばってください」
北海道のどこへ行っても、知らない人はいない。
全道大会では、月曜日の昼間だというのに、円山球場の内野寄りのスタンドはほぼいっぱいに埋まった。甲子園で美しいメロディーを奏でたマーチングバンドの演奏に、野球部員の野太い声。駒苫のスタンドは迫力があった。「あの応援は反則だよね」という監督もいたほどだ。
そんな発言に象徴されるように、監督たちの話題は駒大苫小牧が中心だ。何人もの監督たちと話しているうちに、ふと気づいたことがある。それは、駒大苫小牧の呼び名。
「駒澤」または「駒大」。
そう呼ぶのである。フルネームはもちろん、「駒苫」や「苫駒」と呼ぶ人もいなかった。駒大苫小牧なのだから、「駒澤」「駒大」で当たり前だと思うかもしれない。だが、北海道にはもうひとつ駒大岩見沢もあるのだ。こちらも、負けず劣らずの強豪校。都市名をつけなければ、混乱してしまうではないか。
だが、そんな心配は無用だった。今や「駒澤」「駒大」といえば駒大苫小牧が常識。あえて苫小牧までつけなくても事足りるのである。
それだけ、駒大苫小牧は特別な存在になった。
では、駒苫はいかにして特別になったのか。かつて道民の1人だった者として、この本にしっかりと記録しておきたい。
 


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