2011年3月の東日本大震災から7年目、サッカーが被災地に復興の光をともした。

 全国地域サッカーチャンピオンズリーグを制したのは、東北代表のコバルトーレ女川(宮城)だった。11月24~26日に千葉県市原市のゼットエーオリプリスタジアムで行われた決勝ラウンド。関東代表のVONDS市原、関西代表のアミティエSC京都、九州代表のテゲバジャーロ宮崎との4チームによる総当たり戦は、まさに激戦だった。

JFL昇格を決め、サポーターと喜びを分かち合うコバルトーレ女川の選手たち
JFL昇格を決め、サポーターと喜びを分かち合うコバルトーレ女川の選手たち

■ワイルドカードでの進出

 初日の宮崎戦、2日目の市原戦と引き分けからのPK戦を制し、勝ち点4(90分勝ち=3、PK戦勝ち=2、PK戦負け=1)。迎えた最終日の京都戦は、後半5分に退場者を出しながら、持ち前の運動量を生かして攻守に渡りオールコートでボールを追い、ワンチャンスを待った。そして同36分にセットプレーを起点としたゴール前の混戦から、最後はMF高橋晃司が右足で蹴りこみ決勝点を挙げた。

 1次ラウンドはC組2位だったが、各組2位チームの最上位成績による「ワイルドカード」で拾われての進出だった。下馬評では最も低かったチームが初優勝とともに、上位2チームの与えられる来季の日本サッカーリーグ(JFL)昇格を決めてみせた。

 東日本大震災で津波による大きな被害を受け、11年シーズンは活動休止に追い込まれたチームの快進撃。地元から駆けつけたサポーターのもとへ優勝を報告した選手、サポーターには歓喜の笑顔と感慨の涙が交錯した。中でも震災直前に就任した阿部裕二監督(46)のほおを伝う涙に、復興の道を歩む女川町の思いが見て取れた。

サポーターと握手するコバルト―レ女川の阿部監督
サポーターと握手するコバルト―レ女川の阿部監督

■言葉通りの「雑草軍団」

 「サッカーガデキル喜ビヲ体現スル」

 サポーターが張った横断幕が目に飛び込んできた。壊滅的な被害を受けた町とクラブの歴史がある。ゆえに、どんな苦境でも走り続ける選手たち。いくつもの逆境を乗り越え、この舞台に立ったチームの思いがここに詰まっている。

 阿部監督が言う。「7年かけてやっと花が咲いた。どうしても東北の地というと選手がこない。なおかつ、うちの場合はお金が一切発生しないので、僕らの理念に賛同してくれて、町のために、チームのためにやりたいという子に基本的にやってもらっている」。

 元Jリーガーはいない。メンバー表の「前登録」を見ても、聞いたことのないチーム名が並ぶ。県リーグ所属だったり、大学名が入っていても「それもBチームだったり、そのレベルの子たち」。まさしく言葉通りの「雑草集団」である。だが阿部監督は「ただ見られていないだけで、きっちり育て上げればきっちりできるようになるんです」と胸を張った。

 震災時を知る選手は、主将のFW成田星矢(31)とFW吉田圭(30)の2人だけとなった。中でも吉田は神奈川・三浦学苑高を卒業し、2006年のチーム発足時に加入。足掛け12年目、石巻市リーグを戦った時から在籍しているチームの生き字引だ。「震災で女川町にあった3つのグラウンドがなくなった。一つは仮設住宅に、一つは復興住宅に、もう一つは自衛隊の基地になった」。

 とてもサッカーができる状態になかった。寮は流され、チームのスポンサー企業である水産加工会社「高政」の会議室に寝泊まりし、被災者のいる体育館へ水やカマボコを運んだ。

ドリブルで攻め込むコバルトーレ女川FW吉田
ドリブルで攻め込むコバルトーレ女川FW吉田
JFL昇格を決めたコバルト―レ女川の選手たち。右から2人目が成田主将(13番)
JFL昇格を決めたコバルト―レ女川の選手たち。右から2人目が成田主将(13番)

■「地域貢献」をテーマに

 同じくボランティア活動に従事した成田の言葉はこうだ。「見返りを求めるものではなく、何かをやっていないと落ち着かなかった。何もしないで(誰かが)何かしてくれるのを待っているのはちょっと違うかな、と。その時いたみんなで話し合った。ただ黙っているのが嫌だった」。

 こうした経緯が大きな絆となった。サッカーを通じて町に元気を与えたいと「地域貢献」をテーマに掲げるクラブに対し、もともと「普段からお祭りなどの一体感が半端ない」という女川町。両者の結び付きはより深くなった。

 この日は、女川まちなか交流感で試合のパブリックビューイングが開催された。「姿は見えなくても気持ちは届いた」と言う阿部監督の言葉通り、ピッチに立った成田、吉田ら選手は猟犬のようにボールに食らいつき、闘志あふれるプレーを見せた。そこには、さまざまな人の応援する姿が透けて見えた。

       ◇   ◇

 「サッカーガデキル喜ビヲ体現スル」

 ただ、この言葉はコバルトーレ女川だけに当てはまるものではないだろう。今大会、どのチームにも必死に声をからして応援するサポーターがいて、全力でプレーする選手たちがいた。その最終日はアミティエSC京都も含め、どのチームも勝てばJFL昇格という状況にあった。

試合終了のホイッスルにピッチに座り込むVONDS市原の選手たち
試合終了のホイッスルにピッチに座り込むVONDS市原の選手たち

■1点を巡る明暗のドラマ

 地元チームの市原は、宮崎戦に公式発表で3750人もの観衆を集めた。1-1で迎えた終盤、怒涛の攻撃で勝ち越しの1点を奪いにかかった。後半45分に誰もが決まったと思った鋭いクロスボールから市原FW土屋智義(26)のバックヘッド。それを右手1本、スーパーセーブした宮崎GK石井健太(30)。そして…市原には無情の、宮崎には歓喜のホイッスルが鳴った。守り切った宮崎がJFL昇格を決め、1点を勝ち越せなかった市原は夢を絶たれた。ピッチに突っ伏し、動けなくなる選手たち。女川同様、誰もが誰かの思いを背負って戦っている。

 カテゴリーに関係なく、おらが町のクラブを応援する「100年構想」は全国に根付きつつある。日本人にとって忘れられない未曾有の大震災から7年目。こうしてサッカーのある日常を喜び、体現している。勝ち負けの明暗こそあれ、その光景が幸せだった。

【佐藤隆志】(ニッカンスポーツコム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)

テバゲジャーロ宮崎を引っ張った「デカモリシ」ことFW森島(中央)
テバゲジャーロ宮崎を引っ張った「デカモリシ」ことFW森島(中央)
コバルト―レ女川に敗れピッチで号泣したアミティエSC京都の選手
コバルト―レ女川に敗れピッチで号泣したアミティエSC京都の選手