「セカンドキャリア」という言葉がある。アスリートとしてのキャリアに別れを告げると、必ず第2の人生に直面する。どう生きるか-。人生の岐路に立ち、誰もが悩むことだろう。ただ本人次第でセカンドキャリアは無限に広がるもの。そんな一例を紹介したい。

東京・町田に政治家として活躍する元Jリーガーがいる。町田市議の星だいすけ(本名・星大輔)さんだ。星さんは横浜F・マリノスを皮切りに7つのJクラブでプレーした後、J2町田ゼルビアのフロント業務に6年間携わった。

元Jリーガーで町田市議の星だいすけさん
元Jリーガーで町田市議の星だいすけさん

■2月の町田市議選で当選

昨年末にクラブを退社すると、ことし2月の町田市議選に自民党の公認を受けて出馬(定数36に44人が立候補)し、5884票を集め3位で当選した。どうして政治の世界へ? 今はどういう活動を? 聞いてみたいことは山ほどある。そこで異色のセカンドキャリアを歩む星さんを町田市役所に訪ねた。

爽やかな笑顔で出迎えてくれた星さんに、単刀直入に質問した。議員になったきっかけは何でしょう?

「町田ゼルビアで引退し、最初はコーチとして“第2の星大輔を育ててくれ”と言われました。でも僕の中でピンとこなくて、スタッフとして営業とかやらせてもらいました。そこで、これだけサッカークラブというのは地域の人たちに支えられていることが本当によく分かった。また、(クラブを)ボランティアで支えてくれている人たちの暮らしを支えたいな、そういう支援をしたいなと思って。地元ですし、まだまだ僕がサッカーを始めた頃からグラウンド環境が全然変わっていないので、そういったところも変えて行きたいなって思いました」

まず政治家転身の理由を聞いたところで、サッカーキャリアの話へ。「サッカーの街」町田育ちの星さんは、幼少期からサッカーに打ち込んだ。技巧派の攻撃的ミッドフィルダー。FC町田ジュニアユース(南大谷キャッツ)から横浜ユースを経てトップチームに昇格した。同期ではただ1人という厳しい競争を勝ち抜いた。その課程である出来事があった。

プロへの登竜門となるユースでは毎年面談があった。「お前はトップに昇格する可能性がないからユースやめて部活に行っていいよ、大学目指せばって言われます」。当初15人ほどいたメンバーはどんどん抜け、最後は3人になった。

「僕も高校3年の6月に呼ばれて『お前はプロになれない』って言われたんです。絶望感を味わった。その時、高校で1人の友人に『もうプロになれない』って言ったら、『そんな弱音はくな!』ってめちゃくちゃ怒られたんですよ。『お前が頑張っているのはよく知っている。マリノスに入れないかもしれないけど、ほかにプロって何チームあるんだ、大学に行ってからでもプロになれるんじゃないか』。もう殴られそうな勢いで怒られた。そこでパッと気持ち切り替わって。まだ夏休みあるし、もう1回死ぬ気になってやってみようと、すべてをかけた。そこから自分のパフォーマンスも上がった。そうしたら9月に呼ばれて、うちと契約をしてくれという話になった」

2002年3月、FC東京時代の浦和戦でJ1リーグにデビュー
2002年3月、FC東京時代の浦和戦でJ1リーグにデビュー

■マリノス皮切り7クラブ

横浜を皮切りにプロ人生がスタート。当時の横浜は消滅した横浜フリューゲルスからも選手が合流していた。川口能活、井原正巳、小村徳男、松田直樹、三浦淳宏、城彰二、中村俊輔ら日本代表の錚々(そうそう)たるメンバーが揃っていた。「練習についていくのがやっと」。J1の出場機会はなかった。

その後、FC東京から大宮アルディージャへと渡り、再び復帰したFC東京で待望のJ1デビューを果たした。プロ4年目だった。さらにモンテディオ山形、京都サンガFC、栃木SC渡り歩いた。最後は当時JFLだった故郷のゼルビアに戻ってプレーした。

「地元でやりたいなと。でも相談した時に経済的に厳しいと言われました。僕は結婚してすぐだった。当時まだJFLで財政基盤が整ってなく、給料は払えないから無理だとなって。だけど地元の有志の人たちが、営業をいろんなところにしてお金を集めてくれ、それを僕に支払ってくれた。そういう人たちが僕を呼んでくれた」

地元への感謝の思い。「最高の舞台」で競技人生を終えることができた。13年間のプロ人生でJ1リーグ28試合1得点、J2リーグ132試合19得点、JFL43試合10得点。決して華々しいものではないが、アキレス腱断裂などの重傷を乗り越え、13年というキャリアは立派なものである。

そしてセカンドキャリアが始まった。一般的にサッカー選手なら引退後、指導者になるケースが多い。だが星さんはなぜクラブのフロントを選んだのか。

「まだ政治という頭はなかったですけど、普通のサラリーマンでも経験してみたいなってあった。高校までサッカーばっかりでサッカーバカでしたので」

現役時代の終盤、ケガで長期離脱した。国立スポーツ科学センター(JISS)に滞在し、様々なスポーツでオリンピックを目指す選手たちと一緒にリハビリしたことが、その後の考え方に影響を与えたという。

「個人競技の人が多かったですが、衝撃を受けましたよね。賢いというか先を見ているというか、将来のことをすごく考えている。僕なんて、このケガをどう治してどう復帰しようかと目先のことしかなかった。いろんな本を紹介してもらったり、話を聞いたりして、様々な考え方を勉強させてもらいました」

ゼルビアでは6年間のフロント業務に励んだ。肩書は「営業ホームタウン課長」。つまり何でも屋だ。

「ゼルビアの最大のライバルはディズニーランドだって、僕らも言ってて。山の中のスタジアム(町田市陸上競技場)にどう足を運んでもらうか。というのを僕もない頭を、みんなと運営スタッフ少ない人数で言い合って、それを拾って。小さいクラブなので『じゃあ、やってみろ』というのがあったので」

星さんが考えた企画は「エスコート女子大生」や「スカートの日」などユニークなものが多かった。「バカなことを言いながら楽しく。それが実現するとうれしかったです」。マイク片手にイベントも仕切れば、スーツを着込んで営業も積極的にこなした。「本当に勉強になったし、視野も広がった」。そして芽生えた思いが「政治家」だった。

選手とともに入場するエスコート女子大生たち(2017年8月16日、J2町田-名古屋戦)
選手とともに入場するエスコート女子大生たち(2017年8月16日、J2町田-名古屋戦)

■Jデビュー戦より「緊張」

実は今から4年前の2014年にも出馬を考え、妻へ唐突に切り出したら「バカじゃないの、無理でしょ」と一蹴された。一度は胸の奥にしまいこんだ思い。だが自らを育ててくれた大好きな故郷への思いが再び首をもたげた。17年春、クラブ社長に「今年いっぱいで退職したい」と申し出た。

17年12月に退社、わずか2カ月の準備だった。18年2月25日の町田市議会選に出馬し、見事に当選した。町田のクラブ同様、多くのボランティアにささえられての勝利だった。3月9日から議会が始まると、その数日後には一般質問に登壇していた。

「J1デビューがFC東京にいた時(2002年の)のレッズ戦だったんですけど、その時よりも緊張しましたね。ずっと手に汗をかいていました」

公約には、J1昇格へネックとなっている町田市陸上競技場の改修問題などスポーツ環境の整備がある。さらに訴えたかったのは子供たちの未来だ。「テニスの大坂選手を見て、あーやってテニスをしたいという子に環境がないとかわいそうだと思います」。

日本では来年にラグビーワールドカップ、そして2年後には東京オリンピック・パラリンピックがある。町田にはゼルビア以外にもフットサルFリーグのペスカドーラ町田、そしてラグビートップリーグのキャノンイーグルスが本拠地とする。

「ラグビーワールドカップが来る、オリンピックが来る、その先に何ができるか。何を用意しておけるか、ですね。障がいを持っている人もお年寄りも、誰もが気軽に安心してできるスポーツ施設を」

さらにこう続けた。

「今、町田も地域スポーツクラブというのをつくり始めていますが、なかなか進んでいかない。僕の本当の理想は、中学でも部活動とかありますけど、その部活動でスポーツをするんじゃなくて、それぞれが地域スポーツクラブで運動する。運動だけじゃないです、保育園も幼稚園も塾も地域スポーツクラブにあって。その中心にゼルビア、ペスカドーラ、キャノンイーグルスというプロチームがある。そうなっていくのが最大の理想です」

学校の部活動を見直す動きが日本全体にある。教員への負荷が大きく、働き方を考える一因になっている。そこへ地域に根差したスポーツクラブが介在することで、誰もが安全に参加できる体制をつくるというのが、星さんの考えだ。

そんな話を聞きながら、昨今の若者の政治離れという話題が頭に浮かんだ。政治は本来、誰にとっても身近な存在である。だが、どこかで面倒臭いイメージが付きまとうのだろうか。

「面倒臭いというより自分には関係ないと思っている。僕も実際に前はそう思っていましたし、自分が関わらなくても大人の人たちがやってくれると思っていた。でもそうじゃない。学校のこともそうだし、若い人も保育園、幼稚園のこととなれば、自分の子供を守る問題になってきますからね」

6歳と3歳の2児のパパ。その言葉には実感がこもる。

■議員もJリーガーも同じ

議員になって分かったことがある。「議員もプロフェッショナルで選手と同じ」。選ばれし者が集まり、町田という“チーム”のために高いモチベーションを持ち切磋琢磨(せっさたくま)している。「僕は高卒で頭の良さでは負けてしまうので(笑い)、アイデアと発信力で頑張ります」。SNSを活用し、自らの行動を小まめに発信し、Jリーガー時代さながら“ピッチ”を駆け巡る。

元Jリーガー議員は他にも浦和市議の都築龍太氏、大分市議の高松大樹氏がいる。将来は国政へ? と尋ねると「それはないです。町田が大好きなので、ずっと町田にいたい」。そう話した上でこう言った。

「今いる子供たちがスポーツだけじゃなく幼稚園や学校も、よりよい環境づくりをしたい。そして10年後も20年後も30年後も、この町田市に住み続けたいと思ってくれるように、街づくりをしたいと思います」

Jリーグ誕生から25年が経った。地元に育てられて成長した選手が、地元へ戻って形を変えて貢献する。Jリーグが創出した「ホームタウン」の理念はしっかり根付いている。【佐藤隆志】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)

J2山形時代、湘南戦でゴールを決めガッツポーズ(2004年11月6日)
J2山形時代、湘南戦でゴールを決めガッツポーズ(2004年11月6日)