19歳、杉浦行(こう)君が天国に旅立った。東京・東久留米総合高校サッカー部OB。12月1日の通夜、2日の告別式には多くの仲間が駆けつけ、突然の別れを悲しんだ。

高校2年で骨肉腫に冒され、以来2年に及ぶ闘病生活を続けていた。これまでの経緯は「『もう一度思い切り転びたい』がんと闘うコウ君の夢」(10月12日付)として当コラムで紹介した。

名古屋グランパス対ヴィッセル神戸戦に訪れたシンタロウ(左)とコウ
名古屋グランパス対ヴィッセル神戸戦に訪れたシンタロウ(左)とコウ

■2年前に骨肉種を発病

「コウ」は多くの良き仲間たちに恵まれた。中でも同じ骨肉腫を患い、闘病生活を支え合った「シンタロウ」の存在は特別だ。シンタロウこと、日大藤沢高校サッカー部OBの柴田晋太朗君、19歳。突然の病によって大好きなサッカーを奪われた者同士である。闘病がきっかけでつながった、二人の固い絆を紹介したい。

コウとシンタロウは今から2年前、病魔に襲われた。その1年後の3年夏にはそろってがんの転移が判明する。そんな苦しい時期にSNSを通じてつながった。

「シンタロウのことを知ったのは去年(2017年)の6月くらい。ダイレクトメールを送って。同じような人間がいるんだと、モチベーションにもなった。すごいなと。抗がん剤を入れながら試合に出るなんてすごい。勇気になりました」

LINEを通じて互いの近況を報告し、交流を続けた。実際に二人が初めて顔を合わせたのは、ことしの2月だった。フットサルのFリーグ、湘南ベルマーレのチャリティーマッチに闘病中のシンタロウが招待選手として参加。コウは車いすに乗って試合観戦に訪れ、プレーするシンタロウを応援した。

いつも前向きで行動力あふれるシンタロウ、周囲への気配りを忘れず、常に笑顔を絶やさないコウ。二人はすぐにうち解け、互いの距離は一気に縮まった。

Fリーグ・湘南ベルマーレのユニホーム姿のシンタロウ(5番)とコウ(前列右から3人目)
Fリーグ・湘南ベルマーレのユニホーム姿のシンタロウ(5番)とコウ(前列右から3人目)

■斎藤学選手と中村俊輔選手

「俺らもともと縁があったんすよ。高校に入って最初にもらったユニホームの番号が同じ48番ですから」

そう教えてくれたのはシンタロウだった。治療する病院は違ったが、互いに見舞いに出向いて支え合った。

横浜F・マリノスの下部組織で育ったシンタロウのもとに、親交のある川崎フロンターレの斎藤学選手が訪れたことがあった。「憧れの選手」というコウを誘い、一緒に病棟のデイルームでトランプやオセロに興じ、楽しいひとときを過ごした。コウは自室に斎藤選手のサイン入りユニホームが飾り、闘病の力とした。

5月に肺の切除手術と受けたシンタロウだったが、そこから順調に回復し、幸いにも8月いっぱいで治療を終えた。その一方でコウは余命宣告を受けていた。

「いつまで生きられるか分からない」

絶望の淵にいたコウのため、シンタロウは懸命に自分に出来ることを考えた。そして行動に移した。

まず、親交のある元日本代表でジュビロ磐田の中村俊輔選手に連絡を取った。シンタロウの仲間を思う気持ちに中村選手も心を動かされ、会って食事することに快諾した。10月下旬にコウの家族を招き、同じテーブルに着いた。中村選手は車いすのコウの代わりに、コウがかわいがっていた小学生の妹を相手にボールを蹴ってくれたという。

さらに11月に入ると、シンタロウはコウを愛知県へと連れ出した。かつて指導を受けたコーチが在籍する名古屋グランパスのホームゲーム、ヴィッセル神戸戦だった。コウは中学時代までを愛知県で過ごし、グランパスの大ファンだった。「酸素ボンベを持っていくのを忘れるくらい、すごく元気でした」。そう教えてくれたのはコウのお父さんだった。

コウの体調はすこぶる良かった。まだ国の認可がおりていない臨床実験の「治験薬」に一縷の望みを託す中、主治医も奇跡的だと驚くほどだった。シンタロウはコウを喜ばせようと、できる限りのことをした。「これからも驚かすことをやってやろう」。そんなことを二人で話し合った。

だが、さらなる奇跡はならなかった。11月29日、あまりにも突然にコウは逝った。大好きだったJリーグ観戦が、最後の家族旅行となった。

斎藤学選手を挟んでコウ(前列左)とシンタロウ(同右)
斎藤学選手を挟んでコウ(前列左)とシンタロウ(同右)
中村俊輔選手を挟み、コウ(左)とシンタロウ君(右)
中村俊輔選手を挟み、コウ(左)とシンタロウ君(右)

■「出会えてよかった」

通夜にはJ1最終節を戦ったばかりの斎藤選手も駆けつけた。祭壇には、その斎藤選手の供花も飾られていた。みんなで眠るコウを囲み、湿っぽくならないようあえて楽しい話題を口にして笑った。

「シンタロウ君ですか?」

そう声をかけてきたのは、コウのおばあさんだった。

「色々とコウのために本当にありがとう。コウはシンタロウくんに出会えてよかったです。…でも、コウにはまだまだ生きて欲しかった…」

翌日の告別式には高校時代の男女サッカー部の同期生や友人らが集まり、涙した。その傍らにはアンプティサッカー日本代表の古城暁博選手もいた。10月のW杯を前にコウの事を知り、自宅を見舞っていた。誰もが故人を偲び、あまりにも早すぎる別れを悼んだ。

その当日、シンタロウは自らの熱い気持ちをツイッターに記した。

「連絡が来た時は魂が抜けた。急すぎだよ。でも彼は病気に負けてなんかいない!むしろやるべき事を全うして去った。彼の生きる事に対する姿勢、本気度は尊敬する。いつまでも一緒に居たかった。今この瞬間を生きている事は当たり前ではない!彼の分まで輝いて彼の分まで生きる!またどこかで会おう」

コウがシンタロウを支え、シンタロウもまたコウを支えた。一方は生かされ、その一方は人生に終止符を打った。その分岐に理由などあるはずもない。

病気にならなければ、出会うこともなかった二人の友情物語。コウの思いはしっかりと、シンタロウに託された。

また、いつかどこかで-。

【佐藤隆志】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)

コウの少年サッカー時代の写真集
コウの少年サッカー時代の写真集