「世界基準」と口にする人ほど、世界を知らない。つまり日常が世界レベルでないからで、日本代表の主力、長く海外でプレーする選手は、こんな言葉は口にしない。12日の就任会見で何度もこの4文字を口にした西野新監督も今は、本当の意味で世界を知らない。

 「マイアミの奇跡」を成し遂げたアトランタオリンピックは96年。G大阪を率い、世界3位になったクラブ・ワールドカップは08年。10年ひと昔と言うが、まさにその通りで、サッカーの世界の進化は著しい。監督には3年ぶりの復帰。ブランクも「戻さなければいけない部分は多分にある」と自覚している。

 実績あるメンバーも容赦なく選外にしたハリルホジッチ監督(当時)の言葉を借りるなら「フットボールの面では1年前に(状態が)よかった、6カ月前によかったから呼べるわけではない」。昔の名前、実績は関係ない。今がすべて。生存競争は激しい。

 ここ数年、日本代表監督選定の1つの基準が、W杯指揮の経験だった。日本人でW杯を率いた経験があるのは監督引退した岡田武史氏1人。緊急事態で「オールジャパン」にこだわった田嶋会長は「このロジックを続けていくと(日本人では)岡田監督以外、日本代表監督をできないことになる」と苦しい胸の内を明かした。つまり、人材不足でもある。

 西野新監督は、海外でたくましくプレーする海外組を従え、短期間で一気にチーム作りを進めなければならない。

 たとえば香川はファーガソン氏、クロップ監督の指導を受けてきた。ここまでのビッグネームでなくとも、ほとんどの主力が海外の実績ある監督のもとで過ごしている。

 これが現在の日本代表が抱える1つの大きな問題だ。所属クラブと代表チーム監督の器の差、実力、手腕の違いを日の丸への忠誠心だけで埋めろというのは、もはや無理がある。

 今や、選手は栄養面を考慮してシェフを雇い、トレーナーを日本から呼び寄せ、あるいは個人で雇用し、日本より間違いなく不自由でストレスの多い厳しい環境の中、明日なき生存競争に身を置く。相手はすべて外国人だ。

 西野新監督はとにかくダンディーで、黙っていても絵になる。事ここに及んでは、デンと構え、黙って任せたらいい。自ら選んだ、信じるに値する選手たちにある程度の自由を与え、男にしてもらえばいい。

 就任会見で「自分が選ぶメンバーですから、信頼をして、そういう選手たちに対して個人のプレーに制限はかけたくない」と言った。前任者と正反対の姿勢は、選手たちにより大きなインパクトをもって迎えられるはずだ。

 日本サッカー界は岐路に立つ。代表戦の視聴率は低迷し、人気低下は明らか。世代交代も進まず、いつまでも昔の名前に頼ったままだ。4年に1度のW杯は唯一、起爆剤となり得るイベント。ハリルホジッチ監督から西野新監督へのスイッチだけで全てが上向くとは思えないが、今前を向いて進まなければ、明るい未来はない。【八反誠】(おわり)