どうしてもFW久保竜彦を諦めたくなかった。「日本人離れ」。身体能力の高い選手を表現する決まり文句だが、ジーコ監督の印象では、それをはるかに超えるものが久保にはあった。無理な体勢からシュートを決めるバネ、カンガルーのようなジャンプ力、爆発的な瞬間スピード。現役時代にファンタジスタとしてセレソン(ブラジル代表)の攻撃陣を動かした指揮官は、久保の高い身体能力にほれ込んでいた。

 しかし久保の調子が上がらない。長年腰と両足首の痛みで苦しんできた。大きなケガなら諦めもつく。サッカーができないほどではなく、痛み止めで紛らわせ、テープで固めればピッチには立てる。06年の久保はその繰り返しだった。

 ブラジルでは、セレソンを人格者として待遇する。何かを教え込むのではなく、選手個々が持っているものを代表で出してもらうことを重視する。02年日韓大会で指揮したトルシエ監督の管理主義とは正反対の路線。ジーコ監督も日本代表の選手たちを人格者として扱った。合宿中でもグラウンドを離れると、強制するものはほとんどない。

 しかし久保だけは例外だった。2月の国内合宿ではほぼ毎晩、宿舎ホテルの部屋に呼び、コンディションをチェックした。部屋に呼ばない日は食事会場に残して話した。久保は口べたで、指揮官の問いに「はい、いいえ」の返事が多く、ジーコ監督の困った表情は複数のスタッフに目撃されている。4年間でジーコ監督の部屋に呼ばれた選手はほとんどいない。「久保さんはもう当確だね」と嫉妬する選手もいた。メンバー発表直前の合宿でも、ドクターやトレーナーを交えた久保へのチェックを続けた。

 当時は、事前の準備作業や所属クラブへの仁義などもあり、メンバー発表前日までには、現場から日本協会へ選手リストが上がっていた。しかしジーコ監督は「まだ考えたい選手がいる。ギリギリまで考える」とリストを渡さなかった。仕方なく、日本協会は各クラブに電話を入れ「ワールドカップ(W杯)メンバーは当日、テレビで確認してください」と連絡した。当日はプレスリリース作成や各クラブへの連絡のため、会見場の裏に急きょ事務局を設け、ジーコ監督の声を拾って、23人のリストを作成した。

 熟考を重ねた指揮官が選択したのは、久保ではなく、背格好が似ているFW巻誠一郎だった。落選が決まり、久保は「そりゃもう、残念です」とぼそっと言った。しかしジーコ監督の熱意は十分感じ取った。「(体に)不安があり、100%でやれる状態じゃなかった。ジーコ監督の判断も仕方ない」と小声で続けた。

 W杯メンバー選考で過去にも驚きの結果はあるが「サプライズ」の言葉が広まったのは、この時が初めてだった。【盧載鎭】(おわり)