拝啓 ガンバ大阪・明神智和様。

 本日からはじまる記者コラム。この場を借りて、おわびをさせて下さい。

 あれは昨年の11月でした。秋晴れのいいお天気の日だったのを覚えています。午前中にあった練習を終え、明神選手が帰ろうとした時でした。

 私が駐車場を小走りで追いかけ、呼び止めたのをハッキリと覚えていることと思います。ガンバ大阪の番記者として、私にはどうしても聞かなければいけないことがありました。まさしく単刀直入に、質問を投げかけると、目を丸くして驚いていましたね。少しの間の後に、苦笑いをした明神選手の顔が忘れられません。そして、あなたはこう言ったのです。

 「まだまだ現役を続けますよ」と。

 「辞める気はないですよ」と。

 そう、そうなんです。私はてっきり、明神選手が昨シーズン限りで現役を引退するのではないか-。そう思いこんでいたのです。そんなわけで、呼び止めるなり「引退する気なら、教えてほしい」と尋ねたのです。

 明神選手が今年の1月で37歳になることと、昨季限りでG大阪と契約満了になること。それらの背景に加え、周囲の話なども伝え聞き、直接、確認しました。

 私たち番記者は、選手の引退や移籍、結婚など。常にスクープを出したいという思いで、日々、取材をしています。しかし、時には今回のように「いや、いや。そんな気はないから」という質問をしてしまうこともあるのです。

 ああ、失礼なことを聞いてしまった…。正直、そう思い悩む日もあります。どうかそういう職業であるということを、ご理解していただければ、ほんの少しでも救われます。

 2月28日。横浜であった富士ゼロックス・スーパー杯。明神選手がフル出場して、G大阪の今季初タイトル獲得に貢献したのを見ました。カップを掲げる遠藤選手の斜め後ろで、ひっそりと、最高の笑顔で両手を上げて喜んでいる姿。決して目立たないけれど、欠かせない、重要な存在であることを、あらためて認識しました。

 今年1年とは言わず、できることなら40歳を超えるまで-。ご活躍を、心から願っております。

 【西日本サッカーキャップ=益子浩一】

 ◆益子浩一(ましこ・こういち)1975年(昭50)4月18日、茨城・日立市生まれ。京産大から00年入社。サッカーW杯は10年南アフリカ、14年ブラジル大会、ラグビーW杯は11年ニュージーランド大会を取材。サッカーをする2人の息子への口癖は「倒れるまで走れ」