山形担当の約4カ月間で、石崎信弘監督(57)が「イシさん」と慕われる理由がわかった。試合後は、対戦相手の教え子たちが次々とあいさつにやってくる。当然の行動かもしれないが、笑顔で会話する様子から固い絆と信頼関係が見て取れた。

 広島弁でのコミュニケーションに、優しさと温かさがあふれている。ミーティングで課題を指摘する際には冗談も交え、場の雰囲気を暗くさせないという。日常会話の中でも「ふなっしー(DF舩津)が女の子を連れてスポーツショップに入るのを息子が目撃した」「山形駅の近くで奥さんと手をつないで歩いていたら、たまたまジュンペイ(DF高木純)と会った」など、思わず笑ってしまうような“ネタ”が満載。距離感が近く、選手にとっては父親のような存在なのだろう。結婚式で乾杯のあいさつを頼むのも納得だ。

 報道陣に対しても、気さくに接してくれる。昨季の山形を担当していなかったのは自分だけで、正直不安もあった。ある時、ふと思い立って「いつからプレッシングサッカーを始めたんですか」と聞いた。すると、1対1で30分以上も語ってくれた。練習後は毎回必ず足を止めて会話の時間を設け、残念ながら記事にはできない件や笑い話をして和ませてくれる。

 サポーターにも絶大な人気を誇る。キャンプ中、イシさんに会いに来る女性が多くいた。「ノブリ~ン」と呼ばれ、選手のファンサービスより長い時間“お姉さま方”と話していた。「セレ女」(C大阪を応援する女性)など、スポーツ界で「○○女子」という言葉ができるほどの社会現象に対抗? して「ノブ女、たくさんおるじゃろ」と笑った。

 U-22日本代表の手倉森誠監督(47)に指導者の道を勧めたのも、イシさんだった。95年、NEC山形(山形の前身)で監督と選手の間柄になった。手倉森監督は同年限りで引退し、翌96年からコーチとして監督を支えた。当時の経緯を手倉森監督に聞くと「同世代が(現役を)引退したときに、そいつらよりもいい指導者になってろ、って言われたんだよ」と明かしてくれた。積もる話があったのだろう。4月12日のアウェー鳥栖戦で、視察に訪れた手倉森監督に「イシさん、どこにいる?」と聞かれたので案内すると、部屋からしばらく出てこなかった。

 私事で恐縮だが、4月いっぱいで東北総局での勤務を終え、山形担当を離れることになった。再びJ1の舞台に挑んでいるシーズンを見届けることができないのは残念だ。6節終了時点で1勝1分け4敗の17位と厳しい戦いが続いているが、イシさんが作り上げた山形のJ1残留を信じている。【鹿野雄太】

 

 ◆鹿野雄太(かの・ゆうた)1984年1月20日生まれ。埼玉・所沢市出身。中学でサッカー、高校で硬式テニス、大学でフットサルを経験。06年入社。編集局整理部から12年に東北総局へ。アマチュア担当を経て13年は山形、14年仙台、今季から山形担当に復帰。