G大阪の宇佐美貴史は記者泣かせな選手だと思う。

 決して取材がしやすいタイプではない。時には質問が聞こえているはずなのに、早歩きで車に乗り込んでしまったり…。また時には面倒くさそうに、唇をチェッと尖らせながら、話すことだってある。

 そんな時、G大阪の番記者の間では「おい、おい。アイツ、今、チェッって言ったよな。確かに、俺、聞こえたぞ! なんだ、アイツ!」なんて、笑っているのですが。

 でも、そんな宇佐美が立派な態度で、紳士的に取材に応じてくれた日があった。

 先週の金曜日(22日)。場所はG大阪の新スタジアム内にあるクラブハウス。結果的に宇佐美がPKを外してアジア制覇の夢が絶たれてしまった19日のアジア・チャンピオンズリーグ水原戦後、チームが練習を再開した日だった。

 号泣した水原戦から3日。まだ心の整理はついていなかったに違いない。記者の私が言うのもおかしいが、報道陣の取材に、立ち止まって答える気分ではなかっただろう。でも彼は「ちょっと話を聞いてもいい?」と問いかけると「全然、いいですよ」と立ち止まり、いつも以上に、丁寧に質問に答えた。

 おそらくそれは、水原戦でチームの足を引っ張ってしまったことに対する、彼なりの責任の取り方だったのかも知れない。まさしく、プロとしての姿勢のように見えた。

 「まだショックは残っているか?」。そんな問いかけに、彼はこう返した。

 「このダメージは勝って、勝ち続けていくことで、拭い去るしかないです。チームが勝った時は、俺が勝たせたと言われる。負けた時は、俺が負けさせてしまったと言われる。俺はそういう環境や、立ち位置にいる。長い人生、こういう時もある。そう思うしかないです」

 「チームを勝たせたいと思ったのに、PKを外して敗退させてしまった。想像もできない経験をしたし、PKを(1試合で)2回も外した選手なんか他にいないでしょ? そういう経験も、財産にする。もっと成長するために、こういう経験を無駄にするのではなく、糧にしたい。サポーターやチームメートには申し訳ない。でも、この責任は必ず今後、返していきたい」

 苦しみは、いつの日か力に変わる。

 長いサッカー取材の中で、たくさんの選手を見てきた。以前、どこかで書いたことがある。3年連続得点王に立った大久保嘉人(川崎F)は、宇佐美と同じ20代前半の頃、決定機を外して試合に敗れると、悔しさからいつまでもシュート練習をやめなかった。練習場横でそれを眺めながら100本、200本と数えているうち、数字が分からなくなり、私は数えるのを止めた。本田圭佑(ACミラン)も、香川真司(ドルトムント)だって、苦悩の時を経て、今がある。そんな努力を見てきたから、彼らの原稿を書く時、つい必要以上に熱くなってしまうこともある。

 いつか、宇佐美にも「あんな日もあった」と、言える日が来るだろう。

 涙にくれた水原戦から、中4日で迎えた24日のJ1福岡戦。先発を外れた宇佐美が、途中出場で決勝弾を決めたのを知り、思わず原稿が書きたくなった。

 彼の言った通り「宇佐美が勝たせた試合」だったから。【益子浩一】


 ◆益子浩一(ましこ・こういち)1975年(昭50)4月18日、茨城県日立市生まれ。00年大阪本社入社。プロ野球阪神担当を経て、04年からサッカー担当。W杯は10年南アフリカ、14年ブラジル大会を取材。