見えた景色は悪夢だったはずだ。昨年12月6日。名古屋GK武田洋平(28)は大分の地で悲劇を味わった。当時はJ2大分の正GK。J3だった町田に入れ替え戦で2連敗し、ホームでJ3降格が決まった。チームは公式サイトに「今季の不甲斐ない闘いに対して心からお詫び申し上げます」と謝罪の文章を掲載する事態。J1から3年でJ3降格した衝撃度は大きかった。そのオフ、武田は名古屋にやって来た。

 迷った末での移籍だっただろう。その武田が今、名古屋の救世主になっている。4月20日のナビスコ杯甲府戦で、元日本代表GK楢崎が右肘関節を亜脱臼。清水、新潟、G大阪、C大阪、大分と渡り歩き、J1出場わずか9試合だった武田に先発の大チャンスが回ってきた。そもそも、名古屋のゴールマウスにおいて、楢崎は不動。楢崎以外がリーグ戦のGKを務めたのは2012年7月28日札幌戦(札幌厚別)以来だった。武田が90分間戦い続けた4月24日新潟戦。試合後、小倉監督が真っ先に「武田さまさまです」とうなっていた。

 熊本・大津高出身。武田は中学3年時に熊本へ引っ越し、大津の町でJリーガーへの土台を築いた。熊本地震が発生すると、被害状況を現地に住む仲間を通して収集。母校は水が止まり、練習どころではないと聞いた。名古屋での練習の合間を縫い、駆けつけようかと考えた。葛藤を繰り返し、新潟戦後に武田は言った。

 「いろいろ震災が起きてから考えた。結局、考えすぎて『できることはサッカーしかないのかな』と思った。ただ行っても、(支援する)術がないと邪魔になるだけ。思ったことをやればいいんじゃないかな…と思ったんです」

 熊本入りした芸能人、スポーツ選手など、連日多くのニュースが届けられた。もちろん、その行動によって勇気づけられた被災者も多いはずだ。一方で武田の考えも、明確な意思の下に成り立っている。新潟戦ではリードした後半終了間際、至近距離のシュートを何本もはじく姿に小倉監督は「気持ちを出してくれたから、ビッグセーブにつながった」。5月4日横浜戦でも「また、このゲームも武田さまさま。よく体を張ってくれた」と称賛を受けた。

 大分サポーターの中では武田に対し、さまざまな感情が渦巻いていると想像する。万人が喜ぶ移籍などない。だが、今の武田のプレーには、サッカーのくくりを超えたメッセージがこもっているような気がする。大分も地震で大きな傷を負った。落ち着きを少し取り戻しつつある今だからこそ、私は目の前に全力な男の姿を発信したくなった。「サッカーをできる喜びをかみしめて。ちょっとでも勇気を与えられたらという気持ちです」。名古屋のゴールを守る姿は、決して言葉負けしていない。一見の価値がある。【松本航】


 ◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫県生まれ。大体大ではラグビー部に所属し、13年10月に大阪本社へ入社。プロ野球担当から昨年11月に報道部へ異動。サッカー、ラグビー、陸上など日々異なる競技の現場に足を運ぶ。