「失敗」-。そう言う人もいるだろう。だが彼の表情と、帰国後の言動を見て、私は素直にこう思った。

 「いい経験をして帰ってきたな」と。

 日本代表のMF山口蛍(25)が、J2のC大阪に復帰して1カ月が過ぎた。ドイツのハノーバーに完全移籍したのが、昨年12月末。大きな野心を胸に旅立ったはずが、挑戦は半年で終わった。ブンデスリーガで、わずか6試合無得点。誰がたった6カ月で、日本に戻ることを想像しただろう。周囲からの批判は、当然、山口の耳にも入った。

 「こんなに早く帰っていて、周りから言われることもある。それをしっかり受け止めながら、やっていきます。(C大阪から)出て行った時は、向こうで活躍すると思っていた。今とは全く逆の思いで行った。でも、自分が育ったクラブを離れて、違うクラブでプレーしている。そういう自分に違和感を覚えて、その気持ちはどうしても消えなかった」

 人は誰でも失敗をする。その失敗を今後、どう生かすかで「失敗」は「経験」に変わる。

 確かに、彼の選択は甘かった。だが、海外の水が合わない人もいる。言葉も食生活も文化も違うのだ。みんながみんな、本田圭佑(ACミラン)や長友佑都(インテルミラノ)のように強いメンタルを持って、生きていけるわけではない。

 たった半年の欧州挑戦。だが、その半年が山口を劇的に変えた。

 7月20日に本拠地キンチョウスタジアムであったC大阪-町田戦。チームはFW杉本のゴールで先制しながら、後半に3失点。勝てば首位浮上の可能性もあったが、痛い逆転負けを喫した。

 その試合後のこと。選手の足取りは重く、取材に応じる気にはなれなかったに違いない。それでも山口は報道陣に囲まれると、悔しさは胸に押し込んで、頭を整理しながらハッキリとした口調で、丁寧に敗因を分析した。質問した記者の目をしっかり、見つめながら。それは自然な行為にも見えるが、欧州に行く前の山口なら、面倒くさそうに目を合わせることもせず、聞こえないような小さな声でボソボソと話して去っていくのが常だった。小さな出来事だが、人間として成長した一面だと思う。

 C大阪は“浪花節”が存在するクラブである。かつては森島、西沢がそうだったように、看板選手をこよなく大事にする。見方によれば、それは甘やかしとも捉えられてしまうだろう。最近ではFW柿谷、杉本らも1度は移籍を決断しながら、すぐに帰ってきている。

 でも彼らがC大阪をJ1復帰へ導き、クラブに初タイトルをもたらすことができれば、周囲の雑音は称賛に変わる。

 近い将来、山口の力でC大阪に脚光が浴びる日が来るのを-。待っている。

 

 ◆益子浩一(ましこ・こういち)1974年(昭49)4月18日、茨城県日立市生まれ。00年大阪本社入社。プロ野球阪神担当を経て、04年からサッカー担当。日本代表とG大阪、C大阪を中心に取材。W杯は10年南アフリカ、14年ブラジル大会を現地で取材。