来年50歳になる現役のレジェンド2人が、エピソード満載の掛け合いを展開した。

 J2横浜FCのFW三浦知良(49=カズ)と、来季J3に昇格する沼津のFW中山雅史(49=ゴン)。今月1日、都内で行われたプーマ社の新スパイク「evoTOUCH J」の発表会に出席し、スパイクへのこだわり、高校時代の出会いから日本代表でのエピソードを次々と紹介した。

 来年2月に三浦が、9月に中山が50歳の誕生日を迎える。早生まれの三浦が学年は1つ上。中山が「カズさん、50になるんだ」と人ごとのように笑うと「一緒でしょ」と三浦。まずはスパイクの話から始まった。

 三浦「こだわりがないのが、こだわり。でも、思い出に残っている試合があるんです。11年の東日本大震災のチャリティーマッチ。オールスターとか慈善試合のたびに、刺しゅうが入った記念スパイクを作ってもらうんですけど、いつもウオーミングアップの時だけ履いて、本番は普段使いのものを履く。ぶっつけ本番はしない。でも大震災の後のあの試合だけは、なぜか履いたんです。そしてゴールも決めました」

 中山「僕は、ずっとプーマのパラメヒコを履いてきましたね。学生時代から。なのに(PRキャラクターの)『パラメヒコマン』に駒野(友一)が選ばれた時は、気分悪かったね~(笑い)。覚えているのは98年のW杯フランス大会。アルゼンチンと対戦した時に、アップでバティストゥータがポイントの取り換え式を履いていたんです。僕は固定式でいこうと思ってたんだけど、取り換え式の方がいいのか、と思ってスパイクを変えたら…(無得点で敗れた)。自分の弱さ、情けなさを感じましたね」

 続いて、34年前を回想した。1982年(昭57)年12月。静岡学園高1年だった三浦が中退してブラジルに渡り、3年後にキンゼ・デ・ジャウーの一員として静岡に凱旋(がいせん)。SBS杯に出場した。マッチアップしたのが、藤枝東高3年で静岡高校選抜として参加していた、当時センターバックの中山だった。

 三浦「先週、久しぶりに静岡に帰ったんです。息子と静岡駅に立った時に『このホームからブラジルに旅立ったんだよ』って、思い出話をしましたね」

 中山「僕は丸刈りのDFだったんですけど、カズさんの印象は強烈でしたよ。ドリブルする時、またぐまたぐ(笑い)。『三浦知良だ~。すげえな~』って目で見てました。大学(筑波大)を卒業してヤマハ(現磐田)に入り、ブラジルに留学させてもらった時もカズさんに会いましたね」

 三浦「そうそう。自分がサントスにいて、ゴンちゃんが短期留学してたモジミリンのホームに行って」

 中山「僕は、そのサテライトにいたんで前座試合に出て、終わった後にカズさんの試合を見た。当時、ホンダの黒崎久志と北沢豪もサンパウロFCに留学してましたよね。キーちゃん(北沢さん)は、まだ髪が長くなかった。歴史を感じますね」

 それから30年もの時が経過したが、まだ2人とも、現役選手として研さんを続けている。「節目」を振り返ってもらうと、02年のW杯日韓大会を目指していたころの日本代表での出来事を思い出していた。

 三浦「節目といえば、トルシエ(元日本代表監督)に言われたね」

 中山「はい。『お前らは過渡期だ』って。モロッコ遠征から帰ってくる飛行機の機内で。こんなところで言ってくるなよ、と思ったけど(笑い)」

 モロッコ遠征とは、00年6月6日のハッサン2世杯のこと。3位決定戦ジャマイカ戦が、三浦にとって最後の代表出場試合と得点試合になっている。名波に代わって後半30分から出場。3分後、中田英のクロスに左足を合わせて力強いシュートを決めた。4-0で勝った試合の4点目。現時点での代表ラストゴールだ。

 その年の12月20日に行われた韓国戦が、最後の代表招集。三浦はベンチ止まりだった。一方の中山は「精神的支柱」の役割も担いながら2年後のW杯メンバーに入り、初勝利を挙げたロシア戦(1-0)の後半途中から、2大会連続で大舞台のピッチに立った。そこから、さまざまな節目をへて、来年は50歳という大きな節目を迎える。

 中山「僕は、挑戦を続けられればいいなと思っています。(来季も沼津で)選手としてプレーできるかどうか、どう高めていけるかは、いろんな人と相談しながらになる。でも、やるんだったら、とことんやる。それしか僕にできることはない。まだまだ先は長い、やることは多い、自分を成長させないと厳しい、とは思いますが」

 三浦「今、ゴンちゃんがすごく大事なことを言ってくれた。自分の挑戦。他人がどうこうではなくて、自分を高めていく、挑戦していく気持ちが大事。来年もいい準備をして、試合にスタメンで出て、ゴールを挙げたい。それが一番、身近な目標であり、夢でもあります」

 実績だけでなくキャラクターも含めれば、この2人クラスのスターは当面、出てこないだろう。ただし、発掘するのもメディアの役目。来季から担当する東京のU-18(18歳以下)チームには、バルセロナ下部組織出身のFW久保建英(15)がいる。中学3年生でJリーグに2種登録され、東京U-23の一員としてJ33試合に出場。3部とはいえ、最年少出場記録を更新した。20年東京五輪の主軸となるU-19日本代表にも飛び級で選出され、今月のアルゼンチン遠征では、デビュー戦でいきなり得点に絡んでみせた逸材。まずは来年のU-17、20W杯出場を目指している若きスター候補についても、2人は言及している。

 中山「U-16アジア選手権を(テレビ解説などで)見させてもらいましたが、受け答えが堂々としていますし、非常に落ち着いている。自分のプレーをどう高めようか、どう生かそうか考えている。年齢は低いけど、チームの中心的存在。ちょっとずつでも上積みしていって、日本の中心選手に成長して引っ張ってほしい。『日本の象徴』になってもらえたら」

 三浦「僕は報道を通してしか見たことはないですけど、この前のJ3でも存在感はありましたし、みんなの視線を引きつけられる、集められる『スター性』みたいなものがあると感じました。まだ上のカテゴリーでやるのは大変だと思いますけど、技術はしっかりしている。少しずつ、少しずつステップアップして、日本を世界に引き上げてほしいと思います」

 日本サッカー界の2大レジェンドから「日本の象徴」「スター性」という言葉で期待された久保。ただし2人は、次のスターが久保と決めつけるメディアに対し、くぎも刺している。

 中山「スターになろう、なろう、と言っても、なれるものではない。とにかくグラウンドで結果を出したり、皆さんが望むプレーをどれだけ続けられるか。その繰り返しが、スターへの道につながる」

 三浦「スターというものは、やはり、つくれるものではなくて自然発生するもの。メディアやサポーターに育ててもらい、注目される中で結果を出すことで、スター性というものは出てくる。すべては、ピッチ上での結果だと思います」

 過熱しすぎる報道合戦で希少な才能が道を誤らないよう、東京と日本協会は取材を制限している。この対応には理解を示しつつ、できる限り言動は伝えたい。久保以外にも、20歳以下の代表には好素材がそろう。そちらも丁寧に追いかけていく。「カズ&ゴン」に続く新スター誕生を信じて。【木下淳】

 ◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメフットの甲子園ボウル出場(今年、母校が2年連続4度目の出場を決めました)。04年入社。文化社会部、東北総局、整理部を経て13年11月からスポーツ部。16年8月までリオ五輪サッカー担当。クラブは今季まで鹿島、来季から東京を担当。