東京が、1月に沖縄・国頭村でキャンプを行った。3日目の午後練習が終わったあとのこと。選手たちは夕陽がそそぐ練習場の芝生で、クールダウンのストレッチをしていた。気温は約20度。集まって寝そべる選手と選手の間をぬって、MF石川直宏(35)が1人ゆっくりとドリブルをしていた。

 ジョギングよりも遅いペース。ただ、表情は研ぎ澄まされていた。ボールに足を当てる感覚、芝を踏む感覚を入念に確かめるように、約10分。慎重に走った。帰り際、スタッフに話しかけられると「やっと走れたよ!」と明るく笑った。

 今年でチーム16年目。明るく実直な性格で内外から慕われ、尊敬される。そんな東京の顔と言うべきベテランは、長くJ1のピッチに立っていない。約1年半もの間、ケガと戦っている。15年8月のフランクフルト(ドイツ)との親善試合で左膝前十字靱帯(じんたい)を断裂。長いリハビリを経て本格的な実戦復帰が見えた昨年7月、今度は左膝の半月板を損傷した。現在は完全に別メニュー。ピッチの脇でバイクをこぎながら、仲間の練習をじっと見つめる日々を過ごす。

 左膝は一時、70%程度まで回復していた。昨年9月にはJ3で418日ぶりの公式戦復帰を果たし、天皇杯が始まってからは部分的にトップチームの練習にも合流してボールを蹴っていた。「状態を上げて、(天皇杯の)最後に絡めれば、というモチベーションだった」。その直後、痛みと腫れが出た。一転、J1復帰は白紙に。現状は「10~15%」というところまで急落した。

 何度もケガと長期離脱を経験した。ただ、1度良くなってからまた悪くなったのは初めてだった。「今までとはちょっと違う。キャリアの終盤でまた新しい経験をしている感じ」と、苦笑いで頭をかく。右膝も同じように靱帯(じんたい)断裂と半月板損傷と大ケガを重ねたが、回復した。だが左膝は、痛みだけでははかれないダメージを負っていた。「どうしても限界がひとつあった。その限界をどこまで引き上げられるか、不安はある」。患部に目を落としながら話した。

 葛藤の年越しだった。思うように動かない膝は「ここだけ自分のものじゃないみたい」と話す状態。戦力になれないまま、チームがリーグ9位に沈むのを見ていることしかできなかった。「自分の存在があることで、もしかしたらチーム勝てないんじゃないかとも考えた」。走れないサッカー選手がチームに必要なのか。後輩のチャンスをつぶしているのではないか。復帰を待っているファンの存在が活力だったが、同時に責任感が自分を追い込んだ。「自分が一定のレベルまでいかないとそれ(復帰)もかなわないし、どこまで戻るかもわからない。正直、この状況では自分を表現できないだろうなと」。人前では笑顔に隠してきた感情。年の瀬、脳裏にははっきりと引退が浮かんでいた。

 悩み抜いて、腹を決めた。「今はとにかく自分がやれるだけやってみて、その結果だめならしょうがないという1年にしたい」。そう考えたとき、すっと肩の力が抜けていく感覚があった。「シーズンを通して戦い続けるのは正直難しい。ピンポイント、大事な試合、そういうところで力を発揮できる状態にする。そういうモチベーションの持ち方をしようと。昔の自分だったら、そういう心構えでシーズンに臨むことは許せなかった。でも、それが今の自分に必要なこと」。はっきりとした話し口調に悲壮感はまったくなかった。抱える不安、完璧でない自分。すべてを受け入れた先に新たな境地を見つけた。「アスリートというより、一般の人くらい」と話すジョギングからのやり直しを決意した。

 感謝を忘れない。「自分だけだったらほんとに終わっていたと思う」。大ケガを抱えたまま36歳を迎えようとする石川に対し、東京は「絶対に必要な選手」と現役続行を望んだ。「必要としてくれるチームがあって、もしかしたらそういう仲間もいて、サポーターもいて。もう1度姿を見たいと言ってくれる人がいる」。輝きを取り戻すことを、自分以上に信じてくれることがうれしかった。「そういう人たちがいなかったら、第2の人生を歩んでいたと思う」。

 今年はリハビリのアプローチを変えた。直接左膝を治療するだけでなく、患部の周りの状態をよくしてカバーできるよう新しい体づくりにも取り組んでいる。地道なトレーニングの繰り返しだ。「もどかしい時期だと周りからは見えると思うけど、僕の中ではこれも積み重ね」と頼もしく笑う。「こういうことの積み重ねで、チームが成り立っていくのかなとも思うので。その一員でいられるのがうれしいんです」。人望厚い石川の背中を見て育つ若手選手も多いだろう。自分の努力は、すべてチームに還元されればいい。それが今の石川の考え方だ。

 ケガと戦う不安、迫る引退を前にして、堂々と胸を張る。厳しい現状を受け入れつつも、「がんばればそれでいい」と感傷的になる気持ちは毛頭ない。「積み重ねって、いくら言葉で言っても仕方ないんですよね。最後は結果を残さないと。自分ももちろんよくなりながら、チームが勝てればいい。そしたら、なにも言うことないんじゃないかな」。周囲への恩義と覚悟を胸に、ベテランが復帰を目指している。【岡崎悠利】

 ◆岡崎悠利(おかざき・ゆうり) 1991年(平3)4月30日、茨城県つくば市生まれ。青学大から14年に入社。16年秋までラグビーとバレーボールを取材し、現在はサッカーで主に浦和、柏、東京V、アンダー世代を担当。